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オープニング
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(オープニングタイトル)

scene 011万2000年前の人々は…
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今から1万2000年あまり前、人々はどんな暮らしをしていたのでしょうか。一年が1万2000回もくりかえされた、はるかはるか遠い昔。今あなたがここにいるということは、その1万2000年前にあなたと血のつながった人がいたということです。そして、今あなたがここにいるということは、その1万2000年前の人に愛する夫や妻がいて、愛する子どもがいたということです。想像してください。家族で何を食べ、どんなところでねむりについて、そしてその目の前にどんな風景が広がっていたのかを…。

scene 02縄文時代の三内丸山遺跡
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縄文(じょうもん)時代の暮らしぶりがうかがえる遺跡(いせき)があります。およそ5500年前から1500年間ほど人々が暮らしていたとされる、青森県の「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」です。大きな集落の跡(あと)が見つかり、当時の様子が復元されています。この集落には住居や倉庫、ごみ捨て場などが配置されていました。人々は「竪穴(たてあな)住居」とよばれる、木や草などで作った家に、家族単位で住んでいました。

scene 03ドキリ★狩りや漁を中心とした暮らし
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縄文時代の人々は何を食べていたのでしょう。三内丸山遺跡(いせき)では、食べ物の残りなど、当時の食事がわかるものが見つかっています。マダイやヒラメなどの魚のほか、クルミやクリなどの木の実を食べていたことがわかりました。ほかにも、狩(か)りでとったイノシシなどの獣(けもの)や、ハマグリなどの貝、キノコなども食べていました。狩りや漁を中心とした、自然にとけこんだ暮らしだったことがうかがえます。

scene 04ドキリ★土器の登場で食生活が豊かに
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遺跡(いせき)からは、調理や貯蔵に欠かせない土器も出土しています。縄目(なわめ)をおしあてて模様を作っていたことから、「縄文(じょうもん)土器」とよばれています。「縄文時代」というよび名はこの土器にちなんでいます。土器を使って、生ものに火を通して安全に食べたり、かたい木の実をやわらかくにたりすることができるようになったのです。土器の登場で食生活が豊かになりました。

scene 05ドキリ★遠い地域とも交流があった
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ほかの地域から必要なものを手に入れることもありました。その証が、遺跡(いせき)から出てきた石です。矢じりやナイフの原料となる黒曜石(こくようせき)や、装飾(そうしょく)品などに使われたヒスイは、海をへだてた北海道や、長野、新潟などでしかとれないものでした。遠い地域と交流して手に入れていたことがうかがえます。人々は豊かな自然と共存し、支え合いながら暮らしを営んでいたのです。

scene 06弥生土器の登場
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はるか昔の縄文(じょうもん)時代の人々。豊かな自然の中で食べ物を手に入れ、火にかけた土器を囲み、家族で暮らしていたことがわかりました。縄文土器は、縄(なわ)の模様と分厚いつくりが特徴(とくちょう)でした。そしてもう一つの土器が、弥生(やよい)時代に使われた「弥生土器」です。縄文土器と比べると、うすくてかたいことが特徴です。この土器の変化には、ある食材との出会いが大きく関わっています。それは、米です。

scene 07ドキリ★弥生時代、米作りが大きく発展
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中国や朝鮮半島から伝わった米作りの技術が、今から2300年ほど前に大きく発展しました。その時代のものとされる、福岡県の板付遺跡(いたづけいせき)。ここに、米を作っていた証がのこされています。水田の跡(あと)が発見され、大規模な米作りが行われていたことがわかったのです。米作りのためのさまざまな道具も発見されました。土を耕すための農耕具や、イネをかり取るための石包丁もありました。さらに、人の足跡も見つかりました。当時、人々がはだしで米作りをしていたことがわかります。

scene 08ドキリ★米作りで安定した暮らしに
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たくさんの米を収穫(しゅうかく)するために、人々は協力して土地を切り開き、水田を作りました。大勢での作業を効率よく進めるために、ある役割が生まれます。それは、「指導者」です。指導者の指示で、効率よく組織的に米を作れるようになったのです。保存技術も発達しました。とれた米は、ネズミなどの被害(ひがい)にあわないよう床(ゆか)が高くなっている倉庫で保管しました。米作りの規模は大きくなり、人々の食生活は安定し、人口も増えていきます。弥生(やよい)時代は700年ほど続きました。

scene 09ドキリ★現代に通じる食生活が始まった
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米を食べるようになって生まれたのが、弥生(やよい)土器です。米をにるのに熱が伝わりやすいよう、うすくてじょうぶなつくりです。米を主食とし、何種類かのおかずを副食として食べるスタイルが生まれました。現代に通じる食生活がこの時代から始まったのです。狩(か)りや漁で自然にとけこんだ暮らしをしていた縄文(じょうもん)時代から、組織的に米を育て、安定した暮らしの弥生時代へ。米作りの発展が人々の暮らしを大きく変えたのです。

scene 10歴史を知ることは自分を知ること
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縄文(じょうもん)時代、そして弥生(やよい)時代。はるか昔の人々が、今の人々と同じように暮らしていたことがわかりました。歴史を知ることは、今のあなたを知ることです。歴史の中でそんな瞬間(しゅんかん)に出会ったとき、きっとあなたの胸は“ドキリ”とすることでしょう。

歴史にドキリ
縄文時代と弥生時代
小学6年向け社会科番組「歴史にドキリ」の特別編。はるか昔の縄文時代と弥生時代の人々の暮らしの様子を、青森県の三内丸山遺跡や福岡県の板付遺跡などからひも解く。
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