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オープニング
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(オープニングテーマ)

scene 01明治政府の中心的人物
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伊藤博文は、現在の山口県、長州藩(はん)の出身で、江戸幕府をたおす倒幕(とうばく)運動に参加しました。その後、明治政府の中心的人物として、新しい日本をつくるために活躍(かつやく)した人物です。1986年まで発行されていた千円札に、伊藤博文がえがかれています。江戸幕府をたおすために先頭に立って戦った伊藤は、明治になってから世界中を見て回り、各国の制度を参考にしながら、日本で初めての憲法をつくりました。

scene 02自由民権運動の高まり
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今から130年ほど前、伊藤博文は日本で初めての内閣総理大臣となり、近代憲法をつくりました。このときの政府は、江戸幕府をたおした長州や薩摩(さつま)などの出身者だけで政治を行っていました。「長州や薩摩だけではなく広く国民の意見を政治に取り入れろ!」と政府に不満を持つ人たちが、演説会や新聞を使って運動を起こしました。自由民権運動です。国民の代表による議会、つまり「国会」を開くことを政府に求めたのです。国会の開設を求める声は次第に全国に広がります。その高まりにおされる形で、「10年後に国会を開く」と政府は約束します。

scene 03ヨーロッパの国々の憲法を調査
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国会を開くにあたり、伊藤は国の基本となる「憲法」をつくることを考えます。さっそく、憲法の研究のためにヨーロッパへ向かいました。1年2か月をかけてドイツやイギリス、オーストリアなどを調査しました。そのなかで伊藤が注目したのがドイツの憲法でした。当時のドイツの憲法は皇帝(こうてい)に強い権限がありました。伊藤は、このドイツの憲法を手本にして日本の憲法づくりをすることにしました。皇帝の代わりに、天皇を中心とする日本独自の憲法です。

scene 04ドキリ★伊藤博文が中心となって大日本帝国憲法成立
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帰国後、伊藤が最初につくったのが、内閣制度です。内閣は、天皇の政治を助けるための機関でした。そして伊藤は、明治天皇から初代の内閣総理大臣に任命されました。総理大臣になった伊藤は憲法づくりにとりかかり、4年かけて日本独自の憲法案をまとめていきました。1889年2月11日。大日本帝国憲法は、明治天皇が国民にあたえる形で発布されました。伊藤の努力により、日本に初めての近代憲法が誕生したのです。

scene 05ドキリ★帝国憲法では国民の権利も認められた
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大日本帝国憲法の特徴(とくちょう)は、天皇が主権者として国や国民を治めるしくみになっていることです。天皇の下には、天皇の政治を助けるための内閣が置かれました。議会では、選挙で選ばれた国民の代表によって法律がつくられました。そして、天皇の名で裁判が行われ、軍隊が率いられました。この憲法のもう一つの特徴は、国民の権利が認められたことです。さまざまな制限はありましたが、言論や出版の自由などが、この憲法で正式に認められました。

scene 06近代国家への仲間入り
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発布の翌年、憲法のもとで初めての選挙が行われました。しかし、選挙権があたえられたのは、税金を15円以上納めた25歳(さい)以上の男性が条件でした。15円は当時、日本人が食べるお米2年分に相当しました。高額な税金を納めた人にしか選挙権がなかったのです。こうして全国から選ばれた300人の議員たちが集まり、第一回の帝国議会が開かれました。伊藤がつくり上げた大日本帝国憲法により、日本は、憲法に基づいて政治を行う近代国家の仲間入りをしたのです。

scene 07年号ごろあわせ
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1889年は、帝国憲法ができた年。こう覚えましょう。「いや拍手(はくしゅ:1889)、日本に憲法できたんだ」。

歴史にドキリ
伊藤博文~明治の国づくり(帝国憲法)~ 
天皇中心の政治を作ろうとヨーロッパで憲法を学んだ伊藤博文は、内閣制度を作って総理大臣となり、日本初の憲法を作った。政治の仕組みを作り上げた苦労と道のりを見る。

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