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オープニング
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(オープニングテーマ)

scene 01武士の時代を作る
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政治をほしいままにしていた平氏を壇ノ浦(だんのうら)の戦いで破り、ついに源氏の世を手に入れたのが、源頼朝です。壇ノ浦の戦いでは弟の義経(よしつね)が大活躍(かつやく)し、大勝利となりました。頼朝がめざしていたのは、武士の武士による武士のための政治。武士たちが活躍(かつやく)する世の仕組みを作っていくことでした。

scene 02平氏に敗れた源氏
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平安時代の終わり、13歳(さい)の頼朝は、武士のグループ、源氏のあとつぎとして、父とともにある戦に打って出ます。平氏のリーダー平清盛との戦いです。しかし、天皇を味方にして勢いづいた清盛に、無残に敗れ去ります。父は死に、頼朝は京都から遠くはなれた伊豆(いず)へと追放されました。源氏を再び盛り立てる日を、じっと待ち続けます。その間、政権をにぎった平清盛は上級貴族となり、一族で思うままに政治をあやつっていました。つまはじきにされた武士たちのあいだで不満は高まっていきました。

scene 03味方を集めるために
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伊豆へ流されて20年。「今こそ平氏をたおし、武士の世を作る時だ」。頼朝は立ち上がります。しかし、時は平氏の全盛期。なかなか味方は集まりません。そこで頼朝が目を付けたのは、武士たちの持つ「土地」でした。当時、平氏は全国に勢力をのばし、その支配は関東にもおよんでいました。多くの武士が、先祖代々の土地をおびやかされていたのです。武士にとって領地は何よりも大切なはず。頼朝は関東の武士たちに、「味方してくれたら領地を支配する権利をあたえる」とよびかけます。

scene 04ついに平氏をたおした
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こうして、武士たちが続々と集まり始めました。東北からは弟の義経もかけつけます。頼朝は鎌倉に拠点(きょてん)を構え、義経たちを西へとせめのぼらせました。源氏は順調に勝ち進み、平氏を追いつめていきます。そしてむかえた決戦の場は、山口県壇ノ浦。白い旗が源氏、赤い旗が平氏です。潮の流れが変わったのを機に、形勢は源氏に有利になり、大勝利を収めました。ついに頼朝は、打倒(だとう)平氏の悲願を果たしたのです。

scene 05ドキリ★土地を仲立ちにした「ご恩と奉公」
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頼朝に仕える武士は、「御家人(ごけにん)」とよばれていました。頼朝は、戦で活躍(かつやく)した御家人に領地の支配を認めました。これを「ご恩」といいます。ご恩に対し、御家人は、何かあれば“いざ鎌倉”とかけつけ、戦うことをちかいます。これを「奉公(ほうこう)」といいます。「土地」を仲立ちにした、頼朝と御家人の強いつながり。それが「ご恩と奉公」でした。

scene 06ドキリ★武士を中心とした政治の仕組み
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1192年、頼朝は朝廷(ちょうてい)から、武士をまとめていく最高の地位、「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」に任ぜられました。それ以前から頼朝は、鎌倉(かまくら)を拠点(きょてん)として政治を行っていました。頼朝は、軍事や警察の役割を果たす「守護(しゅご)」、土地の管理や年貢(ねんぐ)の取り立てなどを行う「地頭(じとう)」を全国に配置。これまで主に貴族たちが支配していた土地を武士が管理できるようにしました。武士を中心とした数々の仕組み。頼朝が始めたこの政府を、「鎌倉幕府」といいます。

scene 07今に伝わる御家人の姿
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鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)。ここで、毎年行われている伝統行事があります。「流鏑馬(やぶさめ)」です。“いざ鎌倉”。いつでも頼朝のために戦えるようにと武芸にはげんだ御家人(ごけにん)の姿を、今に伝えています。頼朝が築いた、幕府と御家人との強いきずなが、鎌倉時代を支えたのです。

scene 08年号ごろあわせ
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頼朝が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になった1192年の覚え方は、おなじみのこちら。「いいくに(1192)作ろう頼朝将軍」。

歴史にドキリ
源頼朝~ご恩と奉公~
鎌倉幕府を支えた「ご恩と奉公」の関係に注目し、領地を中心に幕府と武士の関係が成り立っていたことを学ぶとともに、約700年続く武士による政治の始まりをみる。

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