チャプターあらすじを読む
オープニング
ないようを読む

(オープニングテーマ)

scene 0110年以上もかけて日本へ
ないようを読む

鑑真は奈良時代に、日本に仏教を正しく広めるため唐(とう)からやってきた僧(そう)です。唐とは今の中国のことです。鑑真は、日本に行くとちゅうで目が見えなくなってしまいました。当時は日本へ行くというのは大変なことでした。今なら飛行機でたった3~4時間で行けますが、鑑真は日本に来るまでに10年以上もかかったのです。なぜそんなにかかってしまったのでしょう。

scene 02正しい仏教を広めるために
ないようを読む

今からおよそ1300年前、鑑真は、正しい仏教を広めるため日本にやってきました。そのころ日本では、仏教の力で国を治めようとして寺や大仏を作りました。その建設のため、農民たちには重い税や労働が課せられ、苦しい生活を強いられていました。一方、その当時、僧(そう)には税がかかりませんでした。そのため、仏教をろくに知らないのに僧になって税をのがれようとする者が急に増え、仏教界はみだれました。そこで朝廷(ちょうてい)は、正しい仏教を教えてくれる僧を日本に招こうと、唐に遣唐使(けんとうし)を送りました。

scene 03五度の失敗、そして失明
ないようを読む

さがしまわってやっと出会ったのが、鑑真でした。正しい仏教を伝えるため日本に行くことを聞き入れた鑑真でしたが、渡航(とこう)の許可が下りません。そのため、無許可で日本にわたることを決意します。しかし、一度目は計画がもれて失敗。二度目も、出港したものの船が遭難(そうなん)して失敗します。失敗を重ねて五度目。出港には成功しましたが、鑑真たちはあらしにあい、漂流(ひょうりゅう)して日本とは反対の南の島まで流されてしまいます。この苦労から、鑑真は目が見えなくなってしまいました。

scene 04ドキリ★鑑真が伝えた「戒律」で仏教が発展
ないようを読む

しかし、鑑真は六度目の挑戦(ちょうせん)でようやく日本にたどりつきます。日本をめざしてから10年以上もたっていました。やっとの思いで奈良の都に着いた鑑真が行ったのは、戒律(かいりつ)を伝えることでした。戒律とは、僧(そう)が守るべき仏教の大切なきまりです。鑑真が聞きます。「生き物を殺さないことを守りますか」。「はい。守ります」。「物をぬすまないことを守りますか」。「はい。守ります」。鑑真は、戒律を守らせることで、仏教を正しく理解するたくさんの僧を育てました。

scene 05唐招提寺の建立
ないようを読む

759年。鑑真は、さらにたくさんの僧(そう)を育てるため、唐招提寺(とうしょうだいじ)を都に開きます。僧の修行の場だった講堂をはじめ、仏像が並ぶ金堂(こんどう)などは、奈良時代に作られた貴重な建物として世界遺産に登録されています。また、奈良にはほかにも、世界遺産に登録されている貴重な文化財が数多くあります。この時代には、唐の影響(えいきょう)を強く受けた仏教美術が花開き、数多くの仏像や建物が作られました。

scene 06ドキリ★日本は唐を通じて世界とつながっていた
ないようを読む

東大寺にある正倉院には当時の天皇ゆかりの美術工芸品が保存されています。ガラスのコップ『紺瑠璃杯(こんるりのつき)』は、東ローマ帝国(ていこく)ではやった形です。『漆胡瓶(しっこへい)』は、うすく細い木材を束ね、うるしをぬった水差し。ペルシャ、今のイランで同じものが出土しています。『螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんのごげんびわ)』という楽器。ふつうの琵琶は弦が四本ですが、この五弦の琵琶はインドが起源です。これらの宝物を見ると、当時の日本が唐だけではなくシルクロードを通ってアジアやヨーロッパとまで交流があったことがわかります。

scene 07年号ごろあわせ
ないようを読む

759年は、唐招提寺(とうしょうだいじ)ができた年。こう覚えましょう。「仏教の教えを、ながく(759)伝える唐招提寺」。

歴史にドキリ
鑑真~仏教の発展~
奈良時代、日本に仏教の教えを正しく広めるため、海を渡ることを決意した唐の僧・鑑真。6度目の航海でやっと日本にたどり着き、仏教の発展に尽くした鑑真の足跡をたどる。

クリップ

教材きょうざい資料しりょう

教材・資料(先生向け)

配信はいしんリスト

今年度こんねんど放送ほうそう

その放送ほうそう