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scene 01江戸幕府にせまったアメリカ海軍司令官
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アメリカ海軍の司令官マシュー・ペリーは、鎖国(さこく)をしていた日本に国を開かせるためにやってきました。自分の言うことを聞かないとアメリカ軍のほこる黒船で日本をせめることになるかもしれない、となかばおどしたのです。日本の人々は異国から来たペリーをどのように見ていたのでしょう。ペリーの似顔絵をかいた当時の瓦版(かわらばん)を見ると、どれも天狗(てんぐ)のような顔をしています。ペリーはどのようにして江戸幕府に国を開かせたのでしょうか。

scene 02日本を開国させる
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およそ160年前、マシュー・ペリーは、日本に開国をせまるため、アメリカからやってきました。そのころ、アメリカは清(今の中国)との貿易を考えていました。しかし中国へは、大西洋を横断し、アフリカの南を回って4か月くらいかかりました。太平洋を横切れれば20日程度で中国に着きます。そこで注目されたのが、燃料や水、食料の補給基地としての日本でした。しかし、当時の日本は鎖国(さこく)をしていました。アメリカの船は日本に近づくことができません。「日本を開国させる」。大統領から交渉(こうしょう)を任されたのが、海軍司令官のマシュー・ペリーでした。

scene 03アメリカ大統領の手紙を幕府に
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1853年、ペリーは4隻(せき)の巨大な軍艦(ぐんかん)を率い、江戸湾(わん)の入り口、今の神奈川県の浦賀にやってきました。ペリーはときおり軍艦の空砲(くうほう)を放ち、幕府に圧力をかけます。アメリカと戦争になるのではないかと、江戸は大さわぎになりました。幕府はまず、浦賀奉行所の役人を派遣します。しかしペリーは、大統領の手紙を直接、幕府の高官に手わたすことを要求しました。その強い態度におされ、幕府は上陸の許可をあたえます。大統領の手紙を幕府の責任者にわたすことに成功したペリーは、1年後に要求の答えを受け取る約束をして、日本を立ち去りました。

scene 04ドキリ★ペリーによって幕府は国を開いた
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翌年、再びペリーが来日。今度は9隻(せき)の艦隊(かんたい)を率いています。ペリーは、日本に改めて要求をつきつけます。港を開き、船の燃料を補給できるようにすること。乗組員を保護し、水や食料をあたえること。話し合いは1か月半におよびました。1854年、ペリーは、今の神奈川県の横浜に上陸。日本は外国と初めて条約を結びます。「日米和親条約」です。この中で、幕府は下田と箱館(今の函館)の二つの港を開き、燃料や食料、水を提供することを約束しました。

scene 05不平等な条約
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4年後の1858年、幕府はアメリカと「日米修好通商条約」を結び、貿易を始めます。アメリカに次いで、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも通商条約を結びます。しかしどれも日本にとって不利な内容でした。その一つが、「治外法権(ちがいほうけん)」。 日本で外国人が罪を犯しても、日本の法律で裁くことができません。もう一つは、「関税自主権がない」こと。輸入される品物にかける関税の税率を、日本が決めることができません。そのため、外国から安い綿製品や糸が輸入され、生産地は大打撃(だいだげき)を受けます。

scene 06ドキリ★開国により幕府の力は弱まった
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その一方で、生糸やお茶が外国にどんどん輸出され、品不足になりました。さらに、米や塩などの生活必需(ひつじゅ)品も値が上がったため、人々の生活は苦しくなり、幕府への不満が高まりました。そんな幕府に代わり、新しく天皇中心の国をつくろうと、各地で倒幕(とうばく)運動が起こります。開国により、国内は混乱し、幕府の力は弱まりました。

scene 07年号ごろあわせ
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1853年は、ペリーが開国を求め、日本にやってきた年。こう覚えましょう。「開国は、いやでござ(1853)んす、ペリーさん」。

歴史にドキリ
マシュー・ペリー~揺れる江戸幕府~
幕末、鎖国を続ける日本に、アメリカの使節ペリーが開国を求めて黒船で押し寄せた。ペリーの来航から幕末の動乱を学ぶ。

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