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オープニング
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(オープニングテーマ)

scene 01近代化へ向かう日本
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明治時代は、西洋の進んだ技術を積極的に取り入れ、近代的な工場や鉄道を次々に建設していった時代です。また、郵便や金融などの制度も整え、日本はめざましい変化を遂げました。今日は、急速に近代化へ向かう日本の産業の様子を見ていきます。

scene 02大久保利通が見た西洋(1)
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1871(明治4)年、明治政府がアメリカやヨーロッパに送った岩倉使節団。この中に大久保利通がいました。イギリスに渡った使節団は、造船所などの工場を見て回りました。大久保は日本への手紙で、「うわさに聞いていた以上だ。いたるところに工場があり、煙は天高く上っている」と書いています。西郷隆盛に当てた手紙には、「街ごとに工場がある。リバプールの造船所、マンチェスターの木綿工場、グラスゴーの製鉄所…」の記述が見えます。大久保はイギリスの強さ、国力の大きさを、こうした工場に見出しています。〔資料:国立歴史民俗博物館〕

scene 03大久保利通が見た西洋(2)
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さらに大久保たちは、「博覧会」を見学しました。そこには最新の技術を使った、ヨーロッパの国々の工業製品や美術品などが出品されていました。日本に戻った大久保たちは、このときに見た西洋の国々を手本に、新しい国づくりに力を注ぎます。産業を発展させる「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」。そして、兵力を強めることをめざす「富国強兵(ふこくきょうへい)」策です。

scene 04官営「富岡製糸場」
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群馬県富岡市の「富岡製糸場」。1872(明治5)年、官営模範工場として造られました。それまで主に女性が手作業で紡いでいた絹の糸「生糸(きいと)」が重要な輸出品となったため、最新式の機械を備えた大規模工場で生糸の生産を質、量ともに高めようとしたのです。長さ100mを超えるレンガ造りの建物に、蒸気で動くヨーロッパの機械が300台設置されました。この工場は、日本の生糸産業を担い、発展・普及させる人たちを育てる役割も持っていました。その後、民間の工場として100年以上生糸を生産し続けます。

scene 05内国勧業博覧会と郵便制度
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政府はヨーロッパで開かれているような博覧会を、日本の国内で開きました。「内国勧業博覧会」と名付けられ、日本国内の工業製品などを展示して、技術の交流を図り、産業の発展を促したのです。また、兵器を作る軍需工場も東京と大阪に造られました。さらに、郵便の制度も整いました。イギリスなどの国で行われていたシステムを取り入れ、全国どこでも均一の料金で手紙が出せるようになりました。

scene 06北海道の開拓
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明治政府は北海道の開発にも力を注ぎました。「開拓使」を置いて、土地を拓き、アメリカから輸入した機械で大規模な農業が始められました。開拓を行う人々の村もつくられ、「屯田兵(とんでんへい)」と呼ばれる多くの開拓民が北海道に渡りました。このほかにも、鉱山や造船所など、民間の手本となる国の工場、「官営工場」が各地に造られ、これらは日本の産業の発展の基礎となったのです。

scene 07日本銀行と金融制度
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1882(明治15)年、政府は「日本銀行」を設立して、企業への資金援助などを行う金融制度を整えます。民間では実業家の渋沢栄一が、大規模な紡績工場を造りました。このころ、次々と大規模な会社ができるようになります。経済の発展を支える交通の整備も進められました。1907年には、鉄道の総延長は8000km、ほぼ全国に広がったのです。造船所もできました。長崎の造船所は官営としてスタートしましたが、1887年には民間の会社となり、以後、日本の経済を支えました。

scene 08官営「八幡製鉄所」
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福岡県八幡村(やはたむら)、今の北九州市です。この地に作られた官営の「八幡製鉄所」です。製鉄に必要な鉄鉱石は主に中国から輸入し、石炭が近くでとれることから、八幡村が選ばれたのです。八幡製鉄所は、日清戦争のあと、清から支払われた賠償金の一部を使って建設されました。1901(明治34)年に鉄鋼の生産を開始し、その後、長く日本の鉄鋼業、重工業の中心として発展しました。

scene 09足尾鉱毒事件と田中正造
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栃木県の足尾銅山の工場跡。明治時代、ここで採掘、生産される銅は、近代化を進める上で欠かせないものでした。しかし、銅を精錬する際に出る物質「鉱毒」によって渡良瀬川(わたらせがわ)は汚染され、周囲の住民にも被害が出ました。足尾鉱毒事件です。産業の発展の陰で生まれた、日本で最初の公害問題です。このとき、衆議院議員田中正造は、公害をなくすよう、住民とともに政府に訴え続けました。足尾銅山は1973(昭和48)年に閉山しました。日本の近代産業は、このような問題を含みながらも発展してきたのです。

10min.ボックス  日本史
近代産業の発達
明治時代、日本の産業は急速に進展した。各種工場や鉄道が建設され、軍事力も急速に拡充されていく。

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