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オープニング
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(オープニングタイトル)

scene 01『平和主義とみんなの暮らしの関係を調べよ』
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ここは、ドキリ社会研究所。「オーキドーキー、キリ!」。新人研究員のアッキーがAIアシスタントのキリに声をかけました。「おはようございます、アッキー」とキリ。「ねえ、今日のミッション、何?」とアッキーが聞くと、キリがスクリーンに映し出します。『平和主義とみんなの暮らしの関係を調べよ』とあります。「平和主義って言われてもさ、平和な暮らしって当たり前なんじゃないの?」とアッキー。するとキリが急に赤くなって高速回転し始めたのでアッキーはびっくり。キリは、「平和な暮らしは、当たり前ではありません。日本はかつて、大きな戦争を経験しています」と言って映像を映し出しました。

scene 02日本国憲法で定められた「戦争の放棄」
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世界各地が戦場となった第二次世界大戦(1939~1945)。日本もこの戦争で戦いました。戦争による日本人の犠牲者(ぎせいしゃ)は、およそ310万人。広島市と長崎市には原子爆弾(ばくだん)が落とされました。この戦争のあとに作られたのが、日本国憲法です。そこで定められたのが、「戦争の放棄(ほうき)」。外国との争いごとを武力で解決しない、戦力を持たないといった平和主義が定められたのです。平和主義は、基本的人権の尊重、国民主権とともに、日本国憲法の三原則となっています。

scene 03平和を維持するのは大変なこと
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「そうか…。それで憲法に平和主義が定められたのか。とはいえ…、戦争があったのってさ、昔のことだよね、キリ」と言うアッキー。するとキリが「これを見てください」と別の映像を映し出しました。第二次世界大戦のあと、平和を維持(いじ)している国はほとんどありません。多くの国が国内外で武力をともなう争いごとを行い、犠牲者(ぎせいしゃ)が出ています。日本は平和を維持している数少ない国の一つです。「え、そうなの? 平和を維持するのって、大変なことなんだな…」とアッキー。するとさらにキリが映像を映し出しました。

scene 04戦争の記憶を伝える努力
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日本は、戦争の記憶(きおく)を伝える努力をしています。沖縄の平和祈念(きねん)公園。慰霊碑(いれいひ)には、戦争で亡くなった人たちの名前が一人ひとり刻まれています。沖縄は激しい戦場となり、県民およそ12万人が亡くなりました。当時の沖縄県民の4人に一人です。原爆(げんばく)が落とされた長崎市や広島市には、平和を願うための公園が作られ、多くの人が訪れます。

scene 05社会の仕組みが見える“ドキリ・ガジェット”
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「そっか…。こういう場所を訪れることで、戦争を二度とくりかえしちゃいけないってことを感じられるんだね」と納得するアッキー。でも、「とはいえ…、うちの近所にそんな場所ないしなぁ」と言いかけたアッキー、「あ! こんなときは…」とドキリ・ガジェットを思い出しました。目に見えない『社会の仕組み』が見える“ドキリ・ガジェット”。今日は、「平和主義モード」に設定しています。「よし、まちに出てみよう!」。アッキーがドキリ・ガジェットをかけて調査に出かけました。

scene 06かつての防空壕にロックオン!
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「暮らしの中の平和主義、どこにあるかな…」。アッキーがまちを歩いていくと、さっそくドキリ・ガジェットが何かに反応しました。建物のとびらのようなものがあります。そのおくのトンネルにロックオン! 「なんで?」。ドキリ! ここは、かつての防空壕(ぼうくうごう)です。空襲(くうしゅう)のときににげこむために作られた穴です。「ここで、爆弾(ばくだん)から身を守ったんだな…」とアッキー。

scene 07まち全体にロックオン!?
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「高いところから見たらほかにも何か見つかるかな」。アッキーが東京スカイツリーの見えるビルの屋上にやってきました。ドキリ・ガジェットであたりを見わたすと、「え! まち全体に反応してる! なんで?」。ドキリ! このあたり一帯は、戦争中、大きな空襲(くうしゅう)によって焼け野原になりました。川沿いを歩いていくと、ドキリ・ガジェットが橋にロックオン。ドキリ! 「何があったの?」。この橋には空襲のほのおからにげようとした人たちがおしよせ、橋の上でぶつかりあいました。火の海の中、にげ場をなくした人たち1000人以上が亡くなった場所なのです。「そんなことがあったのか…」。

scene 08おじいさんとおばあさんにロックオン!?
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さらにまちを歩いていくと、ドキリ・ガジェットが今度はおじいさんとおばあさんにロックオンしました。「え? この二人も戦争に関係があるってこと?」。ドキリ! 現在の二人の写真。そして1942年ごろにさかのぼった写真。当時、二人は小学生です。「1942年ということは、子どものころに戦争を体験しているんだ」とアッキー。当時のお話をうかがうと…。「アメリカの戦闘機(せんとうき)がバーッて来ましてね、バババババッてうつんですよ。先生も私も弟も、ダメだと思った。そういう経験はありました。本当に戦争はこわい」(おじいさん)。

scene 09小学生の『平和への誓い』
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「特別な場所じゃなくても、戦争の傷あとは身近にあるんだな…」と考えこむアッキー。「これからも平和な日本であり続けるために、ぼくにできることって何だろう」。パソコンで調べてみると…。広島に原爆(げんばく)が落とされた8月6日。平和記念公園では、毎年、広島平和記念式典が行われます。多くの外国人も参列し、世界に発信されます。世界中が注目するなか、二人の小学生が宣言するのは『平和への誓(ちか)い』です。「被爆者(ひばくしゃ)の思いに私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます…」。この『平和への誓い』には、大勢の小学6年生の思いがこめられています。

scene 10被爆した祖母の体験談を読んで
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広島市の公立小学校の6年生は、毎年、平和についての作文を書きます。そのなかから20人が選ばれ、みんなで話し合い、『平和への誓い』を作ります。2019年、『平和への誓(ちか)い』を宣言する役を務めた金田(かねだ)さん。金田さんは、被爆(ひばく)した祖母が書いた体験談を読みました。「おばあちゃんが生きていたおかげで今の私がいるということを知って、今まで遠くのことだった原爆(げんばく)や戦争が一気に身近なものになった。友だちや家族を平和にしていくことが、日本や世界を平和にしていく第一歩だと思うので、まず周りから平和に、幸せにしていくことが大切だと思います」(金田さん)。

scene 11自分にできることを探そう
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「身近なところに目を向けることが大切なんだ。ようし、ぼくも自分にできること探さなくちゃね! 報告書、報告書…」と所長に報告するアッキー。みんな、社会に“ドキリ!”としたかな?

社会にドキリ
平和主義
昔のことだと思っていた戦争の傷跡が、今も各所に残っていることに気づくアッキー。平和を保つために何ができるのか、主体的に考えられるようになっていく。