チャプターあらすじを読む
scene 01大仏を観光地に?
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とある歴史番組の収録現場。「次回のテーマなんだけど」とプロデューサーの飯塚(いいづか)が話しかけると、ディレクターの豊本(とよもと)はだまって目をそらしました。「何も考えてないの? 大丈夫、おれ考えたから」と飯塚は奈良の大仏の写真を見せます。「ズバリ! 東大寺の大仏はなぜ造られたのか、なんてどう?」。「さすがですねぇ」と言う豊本。「なぜだと思う?」と聞かれ、「観光地にしようとした?」と答える豊本。ばかにしたような目で見られ、すかさずレキデリを呼ぼうとします。すると、飯塚が「もう呼んじゃってんのよ、ほら」。と、セットのうしろに隠れていた配達員の角田を呼び寄せました。

scene 02実寸大の大仏の手
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「今回のご注文は、東大寺の大仏はなぜ造られたか、についての資料ですよね?」 最初に、角田が見せたのは、大仏の右手の実寸大パネルでした。「こんなに大きいの!?」とびっくりする飯塚と豊本。手だけでおよそ2.5mあります。「大仏様、正式には『盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)』といいます。像の高さおよそ15m。主な材料は銅です。しかし造られた当時は金も使われていて、全身が金色(こんじき)に輝いていたそうです」と説明をしたあと、角田が見せたのは…。

scene 03資料No.1『続日本紀』
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『続日本紀(しょくにほんぎ)』。朝廷がまとめた歴史書です。697年から791年までのできごとが漢文で記されています。「東大寺の大仏を造るように命じたのは、聖武(しょうむ)天皇です。そのときの言葉を続日本紀から要約しました」。『私は、三宝(さんぽう)の力により、天地が安泰になり、命あるものすべてが栄えることを望む。そこで盧舎那仏の金銅像一体を造ろうと思う』。角田の説明を聞いた飯塚は、「三宝って何?」とたずねます。飯塚。「三宝とはですね、仏、法、僧。これを意味するんですが、ここでいう『法』とは、『仏の教え』という意味ですね」と角田が答えます。

scene 04『天地が安泰』ではなかった?
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「おれわかったよ! 仏教の力でみんなが栄えることを願って大仏を造ろうと思ったってことだね!」と飯塚が言います。「はい、そのような意味かと」と角田が言いかけると、「これで課題解決だね、今日は終わりだね。お疲れでした、レキデリさん」と終わらせようとする飯塚。しかし豊本が「あの…『天地が安泰になり』ってことは、平和じゃなかったってことじゃ…」と言いかけると、すかさず「ナイス読み取り!」と角田。「え? え、え…?」ととまどう飯塚に、「お客さん、探究はこれからですよ」と角田が言いました。

scene 05大地震、天然痘、権力争い… 
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「続いての資料はこちらです」と角田が見せたのは、聖武天皇時代の主なできごとをまとめた表です。「大地震、天然痘(てんねんとう)の大流行…。いろいろ大変なことが起きてるね」と飯塚。「特に天然痘では多くの民や貴族が亡くなったと記録されています」と角田。すると豊本が、「『長屋王(ながやおう)の変』って何ですか?」とたずねました。「聖武天皇の側近だった長屋王が、権力争いから自殺に追い込まれた事件ですね」と角田。「『藤原四兄弟の死』というのは?」と飯塚が聞くと、「聖武天皇のお后、光明(こうみょう)皇后の兄たちです。長屋王を自殺に追い込み大きな権力を手にしたんですが、天然痘であえなく…」。

scene 06仏教を広めて社会の安定をめざした
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「権力者が次々に死んじゃって、朝廷、大混乱だったんじゃないの? こんな状況じゃ仏にもすがりたくなるよな」と飯塚。「聖武天皇は、仏教には国を救う力があると信じていたようですね。大仏を造る前にも、国分寺(こくぶんじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)を造るように命令を出しています」と角田が年表のかくれていた部分を見せました。「仏教を全国に広めて社会の安定をめざしたんだ」と納得する飯塚。すると豊本が、「時代背景はわかったんですけど、なんでこんな大きな仏像を造ったんですかね」と言いました。すると、「ナイスクエスチョン!」と言った角田が次の資料を取り出します。

scene 07資料No.2『竜門石窟 奉先寺洞の大仏』
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中国の世界遺産、竜門石窟(りゅうもんせっくつ)にある奉先寺洞(ほうせんじどう)の大仏。唐の時代に造られた石の仏像です。唐の皇帝は仏教を保護し、巨大な仏像造りを盛んに行っていました。「7世紀後半に造られたといわれています。いかがでしょうか」と角田。「東大寺の大仏とちょっと顔が違うような…。違う仏様?」と豊本。「いえ、同じ盧舎那仏像です」と角田。「7世紀ってことは東大寺の大仏より前だよね。しかも同じ盧舎那仏…」と考える飯塚。「わかった! ズバリ、聖武天皇は唐の真似をした!」。「でも、聖武天皇はどうやって唐の大仏を知ったんですかね」と豊本。すると、「ナイスするどい!」と角田。

scene 08聖武天皇は唐の真似をした
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角田が地図を見せます。「唐は世界有数の大国。朝廷は唐の政治制度や文化を学ぼうと、大勢の役人や僧侶を派遣していました。『遣唐使(けんとうし)』です」と角田。「僧侶を派遣したということは、仏教を学ぼうとしたということだよね」と地図を見ていた飯塚は、「あ! 竜門の大仏は遣唐使のルートの近くにある。てことは、遣唐使が見たかも!」と気づきました。「ナイス読み取り! ちなみに、遣唐使として派遣された吉備真備(きびのまきび)と僧侶の玄昉(げんぼう)は、帰国後、聖武天皇に重用されております」と角田。「ということは…」と飯塚が言いかけると、「あ!」と今回は豊本が何かに気づきました。

scene 09資料から読み取れたことは
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資料から読み取ったことをまとめると…。「聖武天皇の時代、疫病の流行や反乱などが次々に起こり社会は不安定だった」。「そこで天皇は仏教の力で国を護ろうと大仏造りを命じた」。「このとき巨大な仏像にしたのは、遣唐使から聞いた唐の大仏の影響があった」。「て、ことなんじゃないですか!?」と豊本。すると、「そう…かもしれませんね!」と角田。「遣唐使が大仏を見たかどうかの証拠がないんですよね」。

scene 10大仏造りの財源は? 
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「気になってたんだけど、大仏を造るのってすごくお金がかかるんじゃないの?」と飯塚が言いました。「そうですね。現代のお金だと、4657億円になるとの試算もあります」と角田が答えると、飯塚も豊本もびっくり。「いくら朝廷とはいえそんな財源あったんですかねぇ」と豊本。「実は、聖武天皇は、大仏造りを命じる前に、ある法律を作っています」と角田が言います。「何?」と身を乗り出す飯塚。「それが、『こんでんえいねん…』」。そのとき、角田を呼び出すアラーム音が鳴ります。「ああっ、ごめんなさい! 次の依頼が」。角田はモヤモヤした気持ちの二人を置いて行ってしまいました。

アクティブ10 レキデリ
東大寺の大仏はなぜ造られた?
今回のテーマは、「東大寺の大仏はなぜ造られた?」。天平文化を代表する大仏。造られた背景には、どんな事情があったのか?当時の国際情勢を知る資料から探究する。

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