チャプターあらすじを読む
scene 01日本の近代化の光と影
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とある歴史番組の収録現場。プロデューサーの飯塚(いいづか)が「次回のテーマなんだけど…」と言いかけると、「飯塚さん! 明治時代ってどんな印象がありますか?」とディレクターの豊本(とよもと)。飯塚が「工場ができたり、日本の近代化がぐっと進んだみたいな感じ?」と答えると、「あまいなぁ。光あれば影あり。近代化を支えた工場では大勢の女性が厳しい環境で働いていたらしいんですよ。そこで、『明治時代、女性はなぜ工場で働いたのか?』なんてどうです?」と豊本。「じゃあレキデリさん…」と飯塚が言うと、「もう呼んじゃってます」。すかさず、「レキデリでーす」と配達員の角田(かくた)がやってきました。「早っ!」。

scene 02資料No.1『上州富岡製糸場之図』
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「今回のご注文は、『明治時代、女性はなぜ工場で働いた?』についての資料ですね? 最初の資料は、こちらです!」。角田が見せたのは、『上州富岡製糸場之図(じょうしゅうとみおかせいしじょうのず)』。明治5年に開業した富岡製糸場は、当時の輸出の主力品であった生糸(きいと=絹糸)を生産。フランスの最新技術を導入した工場で、政府が直接経営していました。「最新技術を導入した工場ということは、何か機械を使っているわけだから…これかな?」と飯塚が機械の一部を指差します。すると、「ナイス読み取り!」と角田。「繭(まゆ)から取り出した糸を巻き取る装置です。蒸気の力で動かしていました」。

scene 03糸をとる作業は昔から女性の仕事だった 
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「ちなみに、こちらをご覧下さい」と角田が別の図を取り出しました。江戸時代後期の『豊年蚕之図(ほうねんかいこのず)』です。「江戸時代、この工程は手で回していたんですね」と言います。「じゃあ、こうして機械を使って、手早く大量に作れるようになったんだね」と飯塚。「その通りです。ほかに何かお気づきの点、ございますか?」と角田。「やっぱり、女性が多いよね。何でだろう?」と豊本。「そうなんです。繭(まゆ)から糸をとる作業は昔から農村で行われていまして、女性の仕事だったんです。なので、政府は女性の工員を募集したんですね」と角田が言いました。

scene 04工場では士族の女性が多く働いていた
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「てことは、みんな農家の女性だったんですか」と豊本が聞くと、「違います。開業から数年は士族(しぞく)、つまり、もと武士のお嬢さんたちが多かったそうです」と角田。「士族のお嬢さん? なんで?」と飯塚が言うと、「この工場には単に糸を作るだけではなく、指導員を育成する目的があったんです。最新の技術を学んでから民間の工場で技術指導をする人ですね」と角田。「ああ、だから士族のお嬢さんなんだ。指導員になるわけですから、教養を求められたんですよ」と納得する豊本。すると角田が「ナイス探究! 開業当初の工場は、今で言う専門学校の役割も果たしていたんです」。

scene 05開業当初の労働環境は?
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「そうなると、本当に労働環境って過酷だったの?」と飯塚。「気になりますよね。こちらをご覧下さい」と角田が見せたのは、開業当初の労働環境をまとめた表です。労働時間の項目を見て、「えっ? 一日7時間45分って、今とあんまり変わらないじゃない」と飯塚。「そうなんですよ。休みも、毎週日曜のほか、夏と正月に10日ずつあったそうです」と角田。「えーっ!」と驚く飯塚と豊本。「条件よくない? もっとこう、過酷なイメージあったけどね」と飯塚。すると、「そのイメージも間違ってはいないんです。明治の中頃になりますと…」と角田が表にデータを追加しました。

scene 06民営化されて長時間労働に
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「どうでしょう?」と角田。「労働時間が増えてる!」と豊本が気づきます。「就労日数もだいぶ増えてるね。なんで?」と飯塚が聞くと、「政府が民間に工場を売ったんですよ」と角田が言いました。「でも、なんで民営化されると長時間労働になるんですか?」と豊本。すると角田が、「皆さんが経営者になったとしたらどうです? 製糸工場はほかにもあるんです」と言いました。「ほかの工場に負けないように質のいい糸を作って…」と考える豊本。「なるほどね。民営だったら利益が優先だもんね。長時間工場を動かしたほうがもうかるってことだ」と飯塚も言います。

scene 07民営化で給料が「出来高制」に
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「だったら給料も上げないとねぇ。給料、民営化されてからずいぶん幅がありますよね」と豊本。すると角田が「ナイス読み取り! その通りなんですよ。出来高制に変わりました」と言います。「出来高制?」と驚く飯塚。「はい。質のいい糸をたくさんとる人ほどお金がもらえるようになりました。なかには、“100円工女(こうじょ)”といって、年に100円かせぐ人もいたそうです。ちなみに、当時は100円で家が建つ時代でした」と角田。「なるほどね。労働環境は厳しくなったけど、その分、実力次第でかせげるようにもなったってことだ」と言う飯塚に、角田はあっさりと「その通りです」。「冷たっ! 言い方冷たいね」。

scene 08資料No.2『諸色峠谷底下り』
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「働いていたのは士族の女性が多かったと言ってましたけど、それはずっと?」と豊本が聞くと、「いえ、最初のうちだけですね。すぐに、農村の女性が多くなっていきました」と角田が言います。「え、なんで?」と言う飯塚に、「手がかりはこちらです」と角田が見せたのは…。明治16年ごろの社会を風刺した作品『諸色峠谷底(しょしきとうげたにぞこ)下り』という図です。「いっぱいいろいろ描いてあるけど…。たこ、まぐろ、石油、米…。いろいろ擬人化されて描いてあるね」と飯塚。「いろんな品物が谷底に下っているということは…?」と角田が言うと、「物価が下がった!」と豊本が気づきました。「大正解!」。

scene 09物価の下落と小作農家の窮乏
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「当時、物価が急落していたんですよ。物価が下がったということは、農作物の売値も…」と角田が言いかけると、「下がるね。高いとだれも買わないもんね」と飯塚。「てことは、安くしか売れないから、収入が減っちゃったんだ」と豊本。「その通りです!」と角田。「なかでも困ったのがこの方ですね」と図の中の人物を指します。「小作農家です。当時、小作農家は農作物の半分くらいを小作料として地主に納めておりました」。「半分は厳しいね」と飯塚。「残った農産物も安くしか売れないし」と豊本。「小作は農業だけじゃ生活できなかった。だから家計を支えるために…あ!」と飯塚がひらめきました。

scene 10資料から読み取れたことは 
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資料から読み取ったことをまとめると…。「明治政府は、輸出品の主力である生糸を大量生産するため、工場を作り、多くの女性が働いた」。「その後、工場が民営化されると、労働時間は長くなったが、能力次第で高収入を得られるようになった」。「農村の女性が働いていたのは、不況により、農業だけでは家計を支えられなくなっていたからだった」。「て、ことかな!?」と角田に迫る飯塚。すると、「そう! …かもしれませんね!」と角田。「はっきりしたことは言えません。働く事情って人によって違いますし、労働環境も工場によって違うんですよね」と言います。

scene 11労働問題への政府の対策は…
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「でも長時間労働だったのは確かだよね?」と飯塚。「その通りです! 明治の半ば以降、工場での長時間労働、それに労働者の低年齢化が社会問題になっていました」と角田。「政府は何も対策しなかったのかな?」と飯塚が聞くと、「鋭い! 政府もですよ、1911年にようやく作ったのがですね、こ…」。角田がここまで言ったとき、角田を呼び出すアラーム音が鳴ります。「あーっ! ごめんなさい、鳴っちゃいました。次があるんで、すみません!」。角田は行ってしまいます。「えーっ?…今、言えたよね」。飯塚と豊本はモヤモヤした気持ちのまま残されてしまいました。

アクティブ10 レキデリ
明治時代 女性はなぜ工場で働いた?
明治時代 産業の近代化を支えていたのは女性だった。女性たちはなぜ工場で働くことになったのか?歴史資料から紐解いていく!

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