(オープニングタイトル)
ぼくの名前は、都築則彦(つづき・のりひこ)です。実家の仕事は牛乳(ぎゅうにゅう)をお客さんに直接とどける牛乳配達です。出発は夜中の1時過ぎ。配達する母の手伝いをするのは久しぶりのことです。多い日は、100軒(けん)以上配達することもあります。配達は時間との勝負。牛乳びんは重いし、大変な仕事です。深夜配達は、毎朝6時ごろまで続きます。
牛乳びんのケースはけっこう重い。「これ一人で持つのは、ぼくは大丈夫(だいじょうぶ)ですけど、母が持つのは大変。走るし、重いし、数はまちがえられないし、頭も使うから。何て言うんだろうな、これやってると本当にこれしかできなくなっちゃうなっていう感じがして…」。ぼくは今、これからどうやって働いていこうかなやんでいます。
ぼくの父親が牛乳(ぎゅうにゅう)配達を始めたのは、18年前。経営がきびしいなか、両親はこの仕事でぼくを大学まで進学させてくれました。大変そうな両親に恩返しをしたいと、今はここでときどき働いています。小学生のころから配達の手伝いをしていましたが、大人になったら別の仕事をしたいと思っていました。「牛乳配達がいやだったというより、本当に365日休みなく働いていて毎日同じ。『その人生で決められる』ことがすごくいやだった」。ぼくのなやみのタネは、実家の仕事に専念(せんねん)するのか、自分のやりたい夢を追うのかです。
その夢とは、ボランティア活動を仕事にすること。きっかけは学生時代。街のごみを拾ったり、パラアスリートと交流したり、ボランティアを通じて、これまで出会ったことのない人たちとつながることができました。自分の世界が広がることに魅力(みりょく)を感じたのです。そこで卒業後、仲間とボランティア活動を仕事にする団体を立ち上げました。今取り組んでいるのは、東京・上野の商店街を元気にしようというプロジェクト。客足が減った商店街に、わかいお客さんをもっとよびこもうと、ある提案をしました。「SNSとか重要になってくると思うんですが、何か取り組まれてきたことはありますか?」(都築さん)。「全然やりかたもわからないし、ありがたい。助けてもらいたい」(お店の人)。
こうした活動は、自治体などの補助(ほじょ)金や、個人や企業(きぎょう)からの寄付金によって支えられています。今はまだ少ない金額ですが、この先もっと多くのお金や支援(しえん)を集めて、仕事として成り立たせたいと思っています。「それで生きていきたい、仕事にしていきたいと思っているので、本気で会社を作ってやっていこうと思った。事業を起こしてそれでご飯を食べていきたい。お給料をもらっていきたい」。
自分の夢を実現させるため、朝から晩(ばん)まで、寄付金集めやイベントの打ち合わせを重ねています。でも、ボランティア活動を仕事にしようとがんばればがんばるほど、牛乳(ぎゅうにゅう)配達の仕事のほうはおろそかになっていきます。母は深夜から早朝に加え、昼間も配達に追われています。ぼくはいそがしくてほとんど手伝えていません。本当にこのままでいいのか。ぼくは、まよい続けています。「ずっとなやんでいましたね。夢を追うのか、牛乳配達の仕事をするのか。地に足の着いていない感じというか、いろんなところに手を出してる感じで生きている」。
苦労している両親を助けたい。なんとか時間を作って、昼の配達を少し手伝いました。「こんにちは。ぜひずっと飲んでいただけたらと思っておりますのでよろしくお願いします」(都築さん)。「主人はびんの牛乳(ぎゅうにゅう)、おいしいおいしいって飲んでます」(お客さん)。「毎朝一本テーブルに置いておくと、自然に朝最初に飲んで。ほんと奥(おく)さんいい人だもん」(別のお客さん)。牛乳を通して交流ができるのはすごくすてきなことだと思った。両親が10年以上かけてきた努力の蓄積(ちくせき)を垣間(かいま)見る気がして、すごくうれしくなるし、あったかい気持ち。本当はこの仕事にもっと時間を使えるといいんですけど。
自分の夢を追いかけるのをやめて、牛乳(ぎゅうにゅう)配達の仕事に専念(せんねん)したほうがいいのか、母の気持ちを聞いてみました。すると…「子どもたちには夢をかなえてもらいたい。家族のためじゃなくて、自分の幸せをつかんでもらいたいと思っています」(お母さん)。無理をして牛乳配達の仕事を続けなくてもいい、自分の夢をかなえてほしいと応援(おうえん)してくれました。自分の夢を追いかけるのか、実家の仕事に専念(せんねん)するのか。みなさんだったら、どちらを選びますか?