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オープニング
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(オープニングタイトル)

scene 01旅に生きた俳諧師、松尾芭蕉
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江戸時代、五七五の十七文字に生涯をかけた一人の男が、日本各地を旅していました。『おくのほそ道』の作者、松尾芭蕉です。俳諧という文学を、芸術にまで高めた俳諧師です。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふるものは、日ゝ旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり」。『おくのほそ道』の冒頭は、移りゆく年月は旅人であり、人生は旅そのものであるという芭蕉の哲学から始まります。

scene 02 紀行文学の最高傑作『おくのほそ道』
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旅の始まりは、1689年、春。数え年で46歳の芭蕉は、江戸を出発し、北へ向かいます。東北から北陸へ、およそ2400km。5ヵ月にわたる旅路でした。この旅をもとに書かれたのが、紀行文学の最高傑作といわれる『おくのほそ道』です。旅先の歴史や風景、人との出会いなどが、格調高い文章と五七五の句で構成されています。

scene 03平泉:過ぎ去った繁栄への思い
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平安時代の終わりごろ、奥州藤原氏の拠点として栄えた平泉。草むらと化した風景を目の当たりにして、芭蕉は過ぎ去った遠い昔に思いを馳せます。「扨も義臣すぐつて此城に籠り、功名一時の草村となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て時のうつるまでなみだを落し侍りぬ」。人の運命のはかなさと、自然の営みの力強さに、芭蕉は圧倒されます。――「夏艸や 兵共が 夢の跡」。

scene 04立石寺:心洗われる山寺
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旅に出て2ヵ月あまり。夏も盛りのころ、芭蕉は山形に着きます。地元の人に勧められて、芭蕉は立石寺(りっしゃくじ)という寺に足を伸ばしました。険しい岩の断崖に張り付くように建てられた山寺。岩と老木と寺院がおりなす光景に、芭蕉は心を洗われる思いがします。「岩に巌を重て山とし、松栢年ふり、土石老て、苔なめらかに、岩上の院ゝ扉を閉て、物の音きこえず。佳景寂寞として、こゝろすみ行のみ覚ゆ」。――「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」。

scene 05 俳句のもととなった俳諧
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芭蕉が活躍した17世紀末、江戸や大坂では、武士から民衆にいたるまで、多彩な文化が花開いていきました。芭蕉が愛した俳諧もその一つです。数人が集まり句を詠み合う、言葉の遊戯として流行していました。「五七五」の句から始まり、「七七」の句と交互に詠んでつなげていきます。そのいちばんはじめの句は「発句(ほっく)」と呼ばれ、明治以降、「俳句」と呼ばれるようになります。芭蕉は、この十七文字を極めるために旅に出たのです。

scene 06重ねられた推敲
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芭蕉自身の手で書かれた『おくのほそ道』には、いたるところに切り張りし、書き直したあとが残っています。こうした推敲(すいこう)は、旅が終わってからも数年間にわたって続けられました。山形の立石寺の句も、初めは「山寺や 石にしみつく 蝉の声」という形でした。まず芭蕉は、最初の五文字を大きく変えます。「さびしさや 岩にしみ込 蝉のこゑ」。しかし、まだ満足はできません。そして、「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」。しずかさと蝉の声という相対するものが一つとなって、奥行きのある表現が生まれました。

scene 07十七文字に込められた世界
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わずか十七文字に込められた、広く、深い世界観。芭蕉が生涯かけて追い求めたものでした。――「さみだれを あつめて早し 最上川」。――「荒海や 佐渡によこたふ 天河」。

scene 08 旅そのものだった人生
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『おくのほそ道』の旅が終わったあとも、芭蕉は休む間もなく次の旅に出ます。まさに、人生は旅そのもの。芭蕉は、ひたすら歩き続けながら、数多くの名句を遺しました。そして、旅の途中、大坂で息を引き取ります。51歳でした。芭蕉が最後に遺した辞世の句です。「旅に病で 夢は枯野を かけ廻る」。

10min.ボックス  古文・漢文
おくのほそ道(松尾芭蕉)
人生=旅=俳句。そんな世界観を構成しているのが「おくの細道」だ。江戸時代、句作を職業として生きた芭蕉。推敲を重ねた句を人生観に重ね合わせながら読む。

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