「『春暁』孟浩然 春眠不覚暁/処処聞啼鳥/夜来風雨声/花落知多少」。昔々、今から1300年ほど前、中国に、孟浩然(もう・こうねん)という偉大(いだい)な詩人がいました。その代表作が、この『春暁(しゅんぎょう)』です。
『春暁』は、海をわたって日本につたわりました。当時の日本人は、工夫(くふう)をこらして、この詩を自分たちにも読めるようにしました。「『春暁』孟浩然 春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚(おぼ)えず/処処(しょしょ)啼鳥(ていちょう)を聞く/夜来(やらい)風雨(ふうう)の声/花落つること知る多少(たしょう)」。
「春の眠(ねむ)りは心地よく、夜が明けるのも気づかぬほど。ふと目覚(めざ)めると、あちらこちらから小鳥のさえずりが聞こえてくる。そういえば、ゆうべは雨風(あめかぜ)の音が激(はげ)しかった。今朝の庭は、花がどれほど散(ち)ったことだろう」(現代語訳:石川忠久)。
この詩を書いたのは、1300年ほど前の中国の詩人、孟浩然。各地(かくち)を旅したり、山にこもったり、自由気ままに生きました。役人になろうとがんばったこともありましたが、結局(けっきょく)、うまくいきません。でも、出世はしなくとも、思うぞんぶんに朝ねぼうできる。そんな生活から生まれたのが、この詩です。「春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚(おぼ)えず/処処(しょしょ)啼鳥(ていちょう)を聞く/夜来(やらい)風雨(ふうう)の声/花落つること知る多少(たしょう)」。
『春暁』のような、中国の伝統的な詩を、日本では「漢詩(かんし)」といいます。歌うような心地よいリズムに特徴(とくちょう)があります。『春暁』が書かれた時代の中国では、とくに詩がさかんでした。孟浩然のほか、李白(りはく)、杜甫(とほ)、白居易(はくきょい)など、偉大(いだい)な詩人があらわれ、数々の名作をのこしました。
有名な作品の一つ、杜甫の『春望(しゅんぼう)』。戦争(せんそう)のむなしさをうったえる詩の前半部分です。「国破山河在/城春草木深/感時花濺涙/恨別鳥驚心」――「国破(やぶ)れて山河(さんが)在(あ)り/城(しろ)春にして草木(そうもく)深し/時に感じては花にも涙(なみだ)を濺(そそ)ぎ/別(わか)れを恨(うら)んでは鳥にも心を驚(おどろ)かす」。
「国の都が戦争(せんそう)によって破壊(はかい)されても、山や川は昔のまま変(か)わらずにある。荒(あ)れはてた町にも春がきて、草や木が深々と生い茂(しげ)った。この戦乱(せんらん)の時代を思うと、花を見ても涙(なみだ)が落ち、家族との別(わか)れを悲しんでは、鳥の声にも心が痛(いた)む」。
中国は古くから文明が発達(はったつ)した国でした。その文化は日本にも大きなえいきょうをおよぼしました。「漢字」も、海をこえて中国から日本につたわりました。日本人は、この偉大(いだい)な国の言葉をなんとかみんなが読めるように、さまざまな工夫(くふう)をこらしました。まず、日本人に通じる読み方に漢字を当てはめ、送りがななどをおぎないました。そして、言葉の順番(じゅんばん)を入れかえて、わかりやすい文章にしました。
こうして日本人は、中国語を知らなくても、漢詩を読めるようになりました。江戸時代には、さし絵入りの漢詩の本が人気を集めたといいます。そして今でも日本人は、漢詩に親しんでいます。時代や言葉のかべをこえて、大昔の中国人の心に共感(きょうかん)しているのです。
「『春暁』孟浩然 春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚(おぼ)えず/処処(しょしょ)啼鳥(ていちょう)を聞く/夜来(やらい)風雨(ふうう)の声/花落つること知る多少(たしょう)」。――「春眠不覚暁/処処聞啼鳥/夜来風雨声/花落知多少」。