「祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひび)きあり。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花の色、盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)をあらはす。おごれる人も久(ひさ)しからず、ただ春の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。たけき者もつひには滅(ほろ)びぬ、ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ」。平安時代の終わり、平家という武士(ぶし)の一族が、権力(けんりょく)も富(とみ)も一手ににぎっておりました。今日のおはなしは、その一族の波乱万丈(はらんばんじょう)の物語です。
平家一族の壮絶(そうぜつ)な運命をえがいた『平家物語』。今からおよそ800年前、人々が戦(いくさ)に明けくれた時代のおはなしです。「琵琶法師(びわほうし)」という語り部(かたりべ)たちが、琵琶の音色にのせてつたえてきました。その冒頭(ぼうとう)をかざるのが、「祇園精舎(ぎをんしゃうじゃ)の鐘(かね)の声」で始まる有名な文章です。人の運命のはかなさを重々しくうたいあげています。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常(しょぎゃうむじゃう)の響(ひび)きあり…」。
「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)という寺では、鐘(かね)の音がこんなふうにひびくという。ものごとは変(か)わりゆくものである、と。娑羅双樹(しゃらそうじゅ)という木の花の色は、こんなことを表している。さかえている者も、かならずいつか衰(おとろ)えるのが定めだ、と。えらそうにしている者も、いつまでも続(つづ)きはしない。それは、春の夜の夢(ゆめ)のようにはかないものだ。強くいさましい者も、最後(さいご)にはほろびてしまう。まるで、風にふきとばされる直前のちりのように」。
『平家物語』では、数多くの戦(たたか)いのエピソードが語られています。なかでもとりわけ悲しく胸(むね)をうつのが、敦盛(あつもり)という少年の話です。主人公は17歳(さい)の美少年、平(たいらの)敦盛。笛(ふえ)の名手として知られていました。熊谷直実(くまがいなおざね)は敵(てき)の武将(ぶしょう)。敦盛と同じ年ごろの息子がいました。波打ちぎわで戦い、直実は若(わか)い敦盛を追いつめます。しかし、息子のような敦盛をあわれに思い、こっそりにがそうとします。しかし敦盛は、しずかに運命を受け入れます。
直実「名のらせ給(たま)へ。たすけ参(まい)らせん」――名前をおっしゃってください。お助け申し上げましょう。敦盛「なんぢがためにはよい敵(かたき)ぞ。名のらずとも頸(くび)をとって人に問へ。見知らうずるぞ」――よかったな、わたしをうちとったら、よい手柄(てがら)になるぞ。わたしが名乗らなくても、首を取って人にたずねてみろ。知っていることだろう。――ふりむくと、味方の軍(ぐん)が近づいてきていました。もはや、助けるのは不可能(ふかのう)だ。直実は、なみだながらに敦盛の首を切ったのです。
直実「あはれ、弓矢とる身ほど口惜(くちを)しかりけるものはなし。武芸(ぶげい)の家に生まれずは、何とてかかるうき目をばみるべき」――ああ、弓矢を取ってたたかう身ほどつらいものはない。武士(ぶし)に生まれなければ、こんな思いなどしなくてすんだのに。
平家はその後、戦(いくさ)での敗北(はいぼく)を重ね、ついに、壇ノ浦(だんのうら)の合戦(かっせん)でほろびてしまいます。あれほどさかえていた一族が、わずか数十年ですがたを消してしまったのです。しかし、物語は語りつがれ、人々の心に深くきざまれていきます。
800年の月日が流れた今でも、『平家物語』は生き続(つづ)けています。「すごくさかえるけど、いつかは枯(か)れていくんだよみたいな、そういうものでしょ」(女の人)。「人はいつかはほろびていくんだよという、人の世の常(つね)みたいなことを言っているんじゃないですか」(男の人)。――「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」。