AKB48の高橋みなみさんに聞きました。小学生のころどんな子どもでした? すると、「けっこう暗かった」という意外な返事。「1、2年はちょっといじめられてましたね。体も弱かったんで、あんまり学校に行けなくて。で、行くと、『あ、来たんだ』っていう感じになるんですね、クラスが。ものすごくそれがいやで…」。この番組は、そんないじめを少しでもへらしていこうと、みんなでいっしょに考えていく番組です。「一人じゃむりかもしれないけど、みんなだったらぜったいできると思うので、その手助けが少しでもできたらなと思います」(高橋さん)。
いじめが起きても、みんなで解決(かいけつ)できるクラスになろう。そのための第一歩として、高橋さんに一編(いっぺん)の詩を聞いてもらいます。谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)の『なくぞ』という詩です。「なくぞ ぼくなくぞ いまはわらってたって いやなことがあったら すぐなくぞ ぼくがなけば かみなりなんか きこえなくなる ぼくがなけば にほんなんか なみだでしずむ ぼくがなけば かみさまだって なきだしちゃう なくぞ いますぐなくぞ ないて うちゅうをぶっとばす」。
「“なく”って、たぶんいちばん上の感情表現(かんじょうひょうげん)じゃないかな。すごくうれしいときって、人ってわらうんじゃなくてなくし。すごくつらいときも、言葉は何も出なくてなみだだけ落ちるし。だから、『なき虫』という言葉があるけど、『なき虫で何が悪いの!』って思う」(高橋さん)。実は、自分のつらい気持ちを、なく代わりに言葉でつたえた6年生がいました。高橋さんも、つらいときにその気持ちを言葉にしたことがあるそうです。「でも言葉にできたのは、大人になってからだったと思います」(高橋さん)。
その6年生は、自分の気持ちを作文に書き、クラスのみんなの前で読みました。『みんなに伝(つた)えたいこと』というタイトルがついています。「手のことを、『あいつの手かさかさや』といわれていやでした。…ぼくが通ると、『キャー』といわれました…」。作文を書いて読み上げた拓(たく)くん。作文を読んだとき、どんな気持ちだったのでしょう。「なみだが出そうだったんだけどがまんして…。読み終わったあと、自分はないてないと思ってたけど、『さいごないてたよね』って言われて、『あっ、自分ないてたんだ』って気づいた」(拓くん)。
拓くんの作文より――「ぼくの左手は、ひびわれの皮が気になって、さわってしまうと血が出ることもあります。いろいろ薬をもらって、ぬってみたけど治(なお)りませんでした。もう治らないのかなと悲しくなることもあります。そんなつらい気持ちを、みんなにわかってもらいたいです」。
拓くんたちは、今、中学3年生になっています。作文を聞いた当時のクラスメイトに集まってもらいました。拓くんの作文をどう受け止めたのでしょう。「気づいてなかったっていうのがあって、あっちが“いじめ”だと思ってても、わたしは“遊んでる”って感じだった。だから、自分が気づかないうちに相手がきずついてて…」(女子)。「ふだんはつらさを見せないから、心の中でひめてたことがすごいつたわってきて、よけいつらさがつたわってきた」(女子)。
「人って、言葉にしないと、くやしいけどつたわらなくて…。お仕事しててもすごく感じるんですけど、“見てわかってよ。わかるでしょ”と思ってることも、面白いぐらいつたわらない。だからわたしは大人になってから、何でも言葉にするようになったんです。いじめられてるっていう状況(じょうきょう)を、“みんな、見てわかってるでしょ。なんで気づいてくれないの”って思ってる人も多いと思うけど、たぶんわからないんだと思う。すごくくやしいことですけどね。」(高橋さん)。
では、拓くんが作文を読んだあと、“いじめ”はどうなったと思いますか。「なくなっていったんじゃないかなと思います。何が人をきずつけているのか、どこからが“いじめ”になるのかって、たぶん人によってちがうかもしれない…」(高橋さん)。拓くんがつらい気持ちをがまんせず話したことで、クラスはどうかわったか。みんなの考えはどうですか?
※高橋さんの答えの続きは、このホームページの「みなみの考え(第1回)」で、動画で公開しています!