ねらい

「空から見た三内丸山遺跡」や「当時の建物」「発掘された栗の実」をもとに大昔の人びとのくらしについて関心を高めます。

内容

青森県にある三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)です。縄文(じょうもん)時代の人びとがくらしていました。広さ38ヘクタールです。三内丸山の集落ができたのは、今からおよそ5500年前。多いときには200人をこえる人びとがくらしていたと考えられています。集落の中心には、直径1メートルの栗(くり)の木の柱に支えられた建物がありました。物見やぐらとも神殿(しんでん)とも考えられています。そのとなりにあったのは、屋根のある大きな建物です。長さは実に32メートル。中は太い柱と梁(はり)で支えられていました。三内丸山の人びとが大切な食料にしていたのが、栗の実でした。ここで見つかった大昔の栗の実を調べた結果、三内丸山の人びとは、野生の栗の木から実を採るだけでなく、栗の木を栽培(さいばい)していたといわれています。三内丸山の集落は、およそ1500年ものあいだ、栄えたと考えられています。

三内丸山のくらし
青森県にある三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)。縄文(じょうもん)時代の人びとがくらしていました。