ねらい

聖徳太子が、隋の進んだ政治のしくみや文化を取り入れようとしたことがわかる。

内容

中国は長いあいだ、いくつかの小さな国に分かれ、争いを繰(く)り返していました。そうしたなか、中国をひとつにまとめたのが隋(ずい)です。強い力と高い文化を持つ隋から、たくさんのものを学ぶことになります。隋に使いを送り、交流をはじめることにしたのが、「遣隋使(けんずいし)」です。遣隋使は、皇帝(こうてい)に贈(おく)り物を持って行きました。それと同時に、多くの学生やお坊さんも隋にわたりました。こうして、隋から、政治のしくみや技術、学問など新しい知識がたくさんもたらされるようになったのです。それらの知識は、後に、日本が新しい国づくりをする手本になりました。

中国との交流「遣隋使」
遣隋使は、優れた政治力、高い文化をもつ中国・隋との交流を目的としました。遣隋使といっしょに、政治のしくみや学問などを学ぶため学生や僧侶が隋にわたりました。
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中国皇帝学問交流