ねらい

中大兄皇子が中臣鎌足らとともに、豪族の力を押さえて天皇中心の国づくりをしていったことがわかる。

内容

今から約1300年前に書かれた日本書紀です。国がまとめた歴史書の中で、最も古いものです。日本書紀によれば、聖徳太子の死後、豪族たちが勢力をのばし、勝手なふるまいをするようになりました。豪族たちの頂点に立っていたのが蘇我(そが)氏です。なぜ、豪族たちは、大きな力を持つことができたのでしょうか。豪族たちは、天皇から人びとをまとめる仕事をあたえられていました。この仕事を代々受けつぐうちに、本来、天皇にわたる富を、自分たちで勝手に使うようになっていたのです。こうした中、豪族たちの勢力をおさえ、強い国づくりを目指そうとする人たちが現れました。そして、西暦645年6月。天皇の子、中大兄皇子は、仲間の中臣鎌足らとともに、当時最も力を持っていた豪族の蘇我入鹿を殺害しました。乙巳の年に起きたことから、この事件を「乙巳の変」といいます。これにより、天皇中心の国づくりの基礎がつくられていくことになります。

乙巳の変
約1300年前にかかれた、日本書紀には蘇我氏など一部の豪族が暴挙を起こしたと記されている。新しい国づくりをしようと中大兄皇子たちは蘇我氏を討つ。