ねらい

雪舟が、水墨画をどのようにして学んでいったかがわかる。

内容

室町時代、水墨(すいぼく)画家として名を高めた雪舟(せっしゅう)は、京都の「相国寺(しょうこくじ)」で修行をしました。相国寺は、室町幕府(ばくふ)の将軍(しょうぐん)足利義満によってつくられた禅宗(ぜんしゅう)の寺でした。もともと中国から伝えられた禅宗は、同じく中国からもたらされた水墨画と深く結びついていました。相国寺には、当時、水墨画で有名な僧(そう)がいました。そのしたで、多くの僧が水墨画を学んでいました。雪舟もその一人だったのです。30歳(さい)なかばを過ぎ、雪舟は京都を出て、今の山口県、周防(すおう)の国へ移ります。周防を中心に勢力をのばしていた大名、大内教弘(おおうち・のりひろ)に仕えたのです。その後、大内氏の船で中国にわたります。そこで雪舟は、中国の雄大(ゆうだい)な景色にふれます。雪舟は、中国から帰ってからも、周防ですごしました。そして、独自の水墨画の世界を築いていきました。

雪舟の旅
水墨画家、雪舟は京都「相国寺」で修行。30歳なかばで今の山口県周防(すおう)に移り住む。この周防でのくらしがその後の雪舟の生き方に大きく影響した。
関連キーワード:
雪舟禅寺禅宗水墨画