ねらい

徳川家光が、大名の支配を強めるために参勤交代の制度をつくったことがわかる。

内容

江戸時代。江戸と地方を結ぶ街道では、春、大勢のお供をしたがえた大名の行列がみられました。三代将軍、徳川家光が定めた「参勤交代」です。この決まりにより、大名は1年おきに江戸と自分の領地を行き来しました。大名は、定期的に江戸に来て、将軍にしたがう意思を示したのです。江戸に来るのは大名一人ではありません。幕府が決めた数のお供を連れて、江戸までやってくるのです。これは、仙台藩、伊達家の参勤交代のようすがえがかれたものです。たくさんの人が歩いています。大名は、かごで移動します。この絵には、1577人もの人がえがかれています。仙台から江戸まで約350km。7泊8日をかけたといわれています。江戸についた大名は、1年間、江戸でくらし、領地に帰るときは、自分の妻と子どもを江戸に残さなければなりませんでした。参勤交代のしくみは、全国の大名を江戸幕府にしたがわせるための厳しい決まりだったのです。

参勤交代
春、街道を大勢の供をしたがえた大名行列がみられる。三代将軍徳川家光が定めた参勤交代により、大名たちは幕府の決まりに従い、江戸と領地の間を行き来するようになる。