ねらい

近松門左衛門の手法が人びとの人気を集めたことがわかる。

内容

江戸時代、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書き、人びとの心をとらえた近松門左衛門。20歳を過ぎたころ、人形浄瑠璃の世界に飛びこみます。近松は京都で人気を集めていた人形浄瑠璃の一座に加わり、太夫のもとで、脚本を書く修行を積みます。近松は「時代物」とよばれる芝居で成功しました。これは、33歳の時の作品「出世景清」。源氏と平氏の戦いで、源頼朝に敗れた武士の物語です。歴史上のできごとに人間ドラマがもりこまれたこの作品はヒットしました。その後手がけた脚本に「作者 近松門左衛門」と書きます。裏方の作者の名が、はじめて記されたのです。51歳の時、「曽根崎心中」という作品で新しい風をふきこみました。実際に、大阪の町で起きたわかい男女の事件でした。近松はまた歌舞伎の脚本も手がけました。生涯約150本の脚本を世に出した近松は、72歳でこの世をさりました。近松の作品は今でもくり返し上演され、人びとを楽しませています。

近松門左衛門
江戸時代の人形浄瑠璃や歌舞伎の作者、近松門左衛門は、20歳頃に人形浄瑠璃の世界に入り、その後、人びとの心をとらえる作品を次々と世に出していった。