ねらい

福沢諭吉は、身分の低い武士の家に生まれながらも、自分で努力をして蘭学や英語など、学問を学んでいったことがわかる。

内容

福沢諭吉は、1835年、大分県中津藩の武士の家に産まれました。子どもは、寺子屋や塾でかんたんな読み書きや計算を身につけました。諭吉が勉強をはじめたのは、14、5歳になってからのこと。勉強にうちこんだ諭吉は、頭角をあらわします。1854年、ペリー率いるアメリカの黒船がやってきた翌年。諭吉は長崎で、「蘭学」の勉強をはじめます。そして25歳の時、蘭学塾の教師として江戸に招かれました。諭吉は、ある日、港が開かれたばかりの横浜を見物にいきます。ところが、商店の看板も読めず、話も全く通じません。英語だったのです。当時、勢力が強いイギリスと、アメリカ。ともに英語を使う国でした。諭吉は、これからは英語が大切だと考え、英語の勉強にはげみます。1860年には、アメリカへ行き、さらにヨーロッパへも行くことができました。アメリカやヨーロッパを間近に見て、福沢諭吉は西洋の人の考え方や発達した文明を知るのです。

諭吉の学んだもの
1835年、福沢諭吉は今の大分県、中津藩の武士の家に生まれた。「蘭学」を学び、のちに「英語」も習得。そして米国にわたり、さらに欧州を視察。発達した文明を知る。