ねらい

国民が理想としてつくった五日市憲法には、国民の権利について書かれていたことがわかる。

内容

1881年、政府が10年後に国会を開く約束をすると、国民のあいだから新しい政治のあり方を求めて、理想とする憲法(けんぽう)の案が、次々(つぎつぎ)と発表されました。そのひとつが、東京都あきる野市の農家の蔵(くら)から発見されました。明治時代、この土地が「五日市」という地名だったことから、発見された憲法案は今は「五日市憲法草案(いつかいちけんぽうそうあん)」とよばれています。「法律(ほうりつ)のもとに国民はすべて平等である」ことや「国民が政治に参加する」ことなど、国民の権利(けんり)について細かく書かれています。204か条にもおよぶこの憲法案をつくったのは、五日市の農村の青年たちでした。日本の国を自分たちの手でつくり上げようと理想の憲法をつくったのです。しかし、「五日市憲法草案」など人びとが考えた憲法案は、いかされることはありませんでした。

五日市憲法草案
1881年(明治14年)、政府は10年後に国会を開くと約束。国民のあいだから憲法の案が次々と発表された。五日市憲法もそのひとつ。国民の権利などが書かれていた。