ねらい

伊藤博文がドイツの憲法を参考にして、天皇主権の憲法をつくったことがわかる。

内容

1881年。伊藤博文(いとうひろぶみ)は、国民に国会を開く約束をすると、国の基本となる決まり、憲法(けんぽう)をつくることになります。伊藤は、憲法の研究をするためにヨーロッパへ向かいました。各国を調べる中、ドイツの憲法に注目します。国の君主である皇帝(こうてい)と、そのもとにある政府が大きな力を持っていたからです。「ここで国家のしくみを見つけた」。伊藤博文は、ドイツから日本政府にこう報告しています。伊藤はドイツの憲法を参考に、天皇(てんのう)のもと、政府が強い力を持つ日本独自の憲法をつくろうとします。1889年、国会や選挙について定めたはじめての憲法は、天皇が国民にあたえる形で発布されました。「大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)」です。「天皇が国を治める権限(けんげん)」を持ち、「政府が国民をまとめていく」というものでした。そして、その翌年、第1回目の帝国議会が開かれました。

大日本帝国憲法
1881年、政府は国民に国会を開くことを約束すると、国の基本、憲法を作ることにとりかかった。伊藤博文はドイツの憲法を参考に日本独自の憲法をつくろうとする。