ねらい

戦争によって、都会の子どもたちが集団疎開先でどのような生活をしていたかがわかる。

内容

1944年、昭和19年。はげしくなる空襲(くうしゅう)からのがれるため、都会の子どもたちを地方に避難(ひなん)させることがはじまりました。「集団疎開(しゅうだんそかい)」です。小学校3年生から6年生の子どもたちが、家族と別れてくらすことになったのです。疎開先では、朝早くから夜ねるまで、勉強はもちろん、農作業や燃料のまき運びなど、すべてが集団行動でした。食事も粗末(そまつ)なものでした。わずかな米に大根やいもを混ぜて量を増やしています。食料不足から、こうして食べるしかありませんでした。小学生の子どもまでもが、戦争のためにときびしいくらしにたえていたのです。

疎開のくらし
1944(昭和19)年、はげしくなる空襲からのがれるために、学童の疎開がはじまった。子どもたちも戦争のために、きびしい生活を強いられることになる。