ねらい

佐賀県では製菓業が盛んであることを知り、かつて佐賀県を通っていた長崎街道が大きな役割を果たしたことを学ぶ。

内容

佐賀市の家庭では年間1800円分のようかんを買っています。これは他県の平均の倍以上で、全国一多い金額です。中でも小城市はようかん作りが盛ん。二十数軒のようかん屋さんがあり「小城羊羹」の名で売られています。どうして佐賀県はようかん作りが盛んなのでしょうか? じつは佐賀県には昔、「シュガーロード(砂糖の道)」と呼ばれる道がありました。江戸時代、砂糖は外国から船で運ばれてくる貴重品でした。砂糖はまず長崎の港に持ち込まれ、ここから全国へと運ばれました。そのひとつのルートが佐賀県を通る長崎街道という道だったのです。長崎の港に近い佐賀県は、貴重な砂糖が手に入りやすい土地でした。佐賀県には、外国から伝わったお菓子の作り方を書いた古文書が残されていたり、九州で初めて機械によるアイスクリームの大量生産を始めた会社があるなど、様々なお菓子文化が花開いたのです。

シュガーロード/めざせ!佐賀博士
江戸時代、貴重品だった砂糖(さとう)は長崎街道を通じて佐賀県にもたらされた。この道にそって、さまざまなおかし文化が発展した。