ねらい

幕末の佐賀藩がなぜ急速に力をつけたのか。どのような必要に迫られて改革をおこない、西洋技術を取り入れたのか。当時の人々の思いや、その背景を知る。

内容

佐賀市の日新小学校。校庭には巨大な大砲があります。今からおよそ160年前の江戸時代、ここで日本初の鉄製大砲が作られました。同じ頃、佐賀では日本初の実用的蒸気船も作られました。今日は、佐賀県の科学技術が日本で最も発達していた時代を見てみましょう。佐賀藩の十代藩主、鍋島直正。佐賀の近代化を進めた人物です。しかし彼が若い頃の佐賀藩はとても貧しい藩でした。江戸の屋敷で生まれ育った直正は17歳の時、初めて佐賀にお国入りをしようとします。すると商人達が押し寄せ、「借金を返すまでは江戸から出さない」と邪魔をしました。なんとか佐賀へ戻った直正は、藩の改革に乗り出します。役人を420人も減らし、ぜいたくを禁じました。さらに茶や石炭、磁器などの特産品作りを盛んにすることで藩の収入が増えました。直正が改革を急いだのには理由があります。長崎で、オランダの船に乗り込み、すぐれた技術を直接その目で見たのです。

幕末の佐賀藩/めざせ!佐賀博士2
幕末、佐賀藩は十代藩主、鍋島直正の改革によって、日本一の科学技術を誇る藩となった。