ねらい

明治時代の初め、佐賀県出身者が全国各地で近代日本の国づくりのために活躍したことを知る。

内容

札幌市の北海道神宮には、佐賀県出身の島義勇の銅像が建っています。「佐賀の七賢人」の一人で、明治時代に北海道を開拓しました。江戸時代、北海道は「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれていました。明治2年、島義勇が北海道の開拓を任されます。当時、札幌周辺には家が数軒あるだけで、原野が広がっていました。そこで島は、山に登って平野を見渡し、大都市を設計しました。こうして北海道の政治経済の中心、札幌が生まれたのです。明治時代の初めには、他にも佐賀県出身者が日本の新しい国づくりのために働きました。例えば、大木喬任(たかとう)は「学制」という法令を出し、義務教育の制度を作りました。これによって6歳以上の子どもは、誰でも小学校に通えるようになりました。大木の親友、江藤新平も全国に裁判所を設置して、現在の司法制度の基礎を作りました。ところが「征韓論争」がおこり、大木と江藤は引き裂かれることになるのです。

佐賀の七賢人(2)/めざせ!佐賀博士2
幕末、明治に活躍した「佐賀の七賢人」を紹介する二回目。島義勇、大木喬任、江藤新平の業績をみる。