ねらい

伊藤博文がドイツの憲法を参考にして、天皇主権の憲法をつくったことがわかる。

内容

伊藤博文は、日本で初めて内閣総理大臣になった人物です。伊藤は江戸時代の終わりに、今の山口県にあたる長州藩で生まれました。17歳のときに吉田松陰が開いた松下村塾に入り、のちに幕府を倒す運動の中心となる木戸孝允らと出会います。1868年。天皇を中心とした明治政府がつくられ、伊藤は西洋の国を視察するなどし、どのような近代国家にするか考えます。そこで参考にしたのが、皇帝に権限があるドイツの憲法でした。天皇を中心とする日本独自の憲法をつくることにしたのです。まず内閣制度を作り、1885年に初代の内閣総理大臣になりました。伊藤は、憲法づくりに力を注ぎます。そして1889年に大日本帝国憲法が発布。翌年には選挙が行われ、第1回の国会が開かれました。日本は議会で法律を定める国の体制が整ったのです。国会議事堂の敷地には伊藤の銅像が建てられています。1986年まで発行されていた千円札にもその姿が描かれています。

伊藤博文
初代内閣総理大臣になった伊藤博文を紹介します。