ねらい

ペリーが江戸幕府(えどばくふ)と「日米和親条約」を結んだことがわかる。また、ペリーは日本について学び、来日時も日本について広く見聞したことがわかる。

内容

江戸時代の終わり、日本を開国へと向かわせたアメリカ海軍提督、マシュー・ペリー。ペリーは2度にわたり日本にやってきました。鎖国をしている日本に、アメリカの船が出入りできる港を開くよう交渉をするためです。ペリーは日本に来る前、日本人について、調べました。ペリーが読んだ本です。日本には天皇と将軍の2人の皇帝がいる。日本人は刀を使って戦う。政治のしくみから庶民の生活まで、調べ上げました。1853年、神奈川県の浦賀にやってたペリーはアメリカの海軍が演奏する行進曲「アルプス一万尺」にのって上陸しました。次の年、ペリーは再び日本にきます。幕府との交渉をくり返し「日米和親条約」を結ぶことに成功します。その後、日本のようすを見て回り、記録に残しています。ペリーは日本の職人の技術の高さにおどろき「日本人が西洋の技術を身につければ、将来アメリカにとって、大きな競争相手になるだろう」。そう書き残したのです。

マシュー・ペリー提督
日本を開国へと向かわせたアメリカ海軍提督マシュー・ペリー。ペリーは来日前、日本について文献などで調べてきている。2度目の来日では、「日米和親条約」を結んだ。