ねらい

遣隋使として隋にわたった小野妹子が、隋の政治のしくみや文化を学んできたことがわかる。

内容

小野妹子。約1400年前、倭とよばれていた日本を代表し中国に渡った役人です。そのころ、中国は小さな国に分かれ、争いをくり返していました。そして、中国をひとつにまとめたのが隋です。日本は、強い力と高い文化を持つ隋と、つきあう必要がありました。そこで隋に使いを送り、交流をはじめることにしたのです。この使いが、「遣隋使」です。隋の都までは、約3か月におよぶ長旅でした。小野妹子は、西暦607年、隋に渡ります。この時、小野妹子が隋の皇帝、煬帝に渡した手紙です。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」日が昇る国の天子が、日が沈む国の天子にあてて書簡を送るという意味です。遣隋使には、学生や僧もともない隋の進んだ政治のしくみや技術、学問などを学びました。小野妹子は遣隋使としての功績がみとめられ、冠位十二階という最も高い「大徳」につきました。隋からの知識は、後の改革に活かされることになります。

小野妹子
今から1400年前、当時倭の国とよばれていた日本。その日本を代表して中国にわたった役人が小野妹子である。妹子たちは隋の国に渡り、技術、学問などをはば広く学んだ。