ねらい

外国からの圧力で日本が結んだ不平等条約により、国内では幕府への不満が高まり、討幕運動が盛んになったことを理解する。

内容

1854年、ペリーは横浜に上陸。日本は外国と初めて条約を結びます。「日米和親条約」です。幕府は下田と箱館の二つの港を開き、燃料や食料、水を提供することを約束。その4年後の1858年、幕府はアメリカと「日米修好通商条約」を結び、次いで、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも通商条約を結びます。しかしどれも日本にとって不利な内容でした。その一つが、「治外法権」。 日本で外国人が罪を犯しても、日本の法律で裁くことができません。もう一つは「関税自主権がない」こと。輸入される品物にかける関税の税率を、日本が決めることができません。そのため、外国から安い綿製品や糸が輸入されて生産地は大打撃を受け、生糸やお茶が外国にどんどん輸出され、品不足になりました。また、米や塩などの生活必需品も値が上りし、幕府への不満が高まりました。そんな幕府に代わり、新しく天皇中心の国をつくろうと、各地で倒幕運動が起こります。

不平等条約の締結
1854年、日本は初めて外国との間の条約を締結。その4年後に結んだ日米修好条約は、治外法権を認め、関税の自主権をもたない不平等条約だった。