ねらい

米があまるようになったため、田んぼを畑に変えてほかの作物をつくったり、稲(いね)が実る前にかり取ったりした国の政策(せいさく)、「減反(げんたん)」について知ろう。

内容

"今から70年ほど前、15年続いた戦争が終わりました。国土はあれ果て、冷害や水害も重なり、米の生産量は大きくへっていました。そこで、米の生産量をふやすことが大きな課題となりました。人びとは、どんどん土地を切り開き、農地がふえていきました。ところが、このころから日本では米以外のものを食べることがふえ,せっかく作った米が余るようになったのです。1971年に、国は生産量をおさえる政策(せいさく)を行うことにします。それが「減反(げんたん)」です。育てた稲(いね)を実る前にかり取ってしまう「青田刈(あおたが)り」や、田んぼを畑に変えてほかの作物を作る「転作(てんさく)」が、さかんに行われました。減反のえいきょうもあり、農業をつぐ人はへり続けています。"

米の生産調整「減反」
今から40年以上前、日本で行われるようになった「減反(げんたん)」。生産量が消費量を上回り、米があまるようになり、田んぼをへらしていきました。
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