ねらい

福岡県久留米(くるめ)市でゴム産業が発展(はってん)した理由を知ろう

内容

福岡県久留米(くるめ)市は、90年以上前の大正時代から「ゴムの街」として発展(はってん)してきました。久留米では、昔から着物を着た時にはく「足袋(たび)」が盛(さか)んに作られていました。大正時代に街の人がアメリカ製(せい)の運動ぐつを見て、足袋の布地(ぬのじ)にゴムをはり付ける方法を考えつきました。「地下足袋(じかたび)」の始まりです。近くの炭鉱(たんこう)で働く人たちの作業に便利だったことから地下足袋は飛ぶように売れました。運動ぐつも作られるようになって、ゴム産業は成長。およそ60年前には、6000人もの従業員(じゅうぎょういん)がくつ工場で働くほどの大産業になりました。毎日10万足のくつを作って全国に出荷。くつは、海外にもたくさん輸出(ゆしゅつ)されるようになりました。地下足袋をきっかっけにゴム産業が発展。現在(げんざい)もさまざまなゴム製品が作られています。

地域(ちいき)に根ざした工業製品~福岡・久留米(くるめ)のゴム~
福岡県久留米(くるめ)市は、日本で初めてゴムの産業がおこった所で、90年以上前の大正時代から「ゴムの街」として発展(はってん)しました。