ねらい

先人の農地開拓と、用水路開発の功績をとおして、昔の人たちの努力によって、今の暮らしが支えられていることを学ぶ。

内容

福島県郡山市(こおりやまし)は、有名な米どころとして知られています。しかし、昔から米作りができる、ゆたかな土地だったわけではありません。昔の地図には、あちこちに不毛という文字が書かれています。作物が育たないあれた土地であることをしめしています。およそ150年前、あれた土地をたがやす開拓(かいたく)が行われました。当時の福島県の役人・中條政恒(なかじょうまさつね)は、地元の商人たちと協力して、開成館という建物をつくり、開拓の準備(じゅんび)を進めました。しかし、開拓を進めるうえで、水が不足していました。中條は、猪苗代湖(いなわしろこ)から水を引く用水路が必要だと当時の政府にうったえ、全国から集まった85万人が働く大工事が実現(じつげん)しました。工事は、3年がかりで行われ、安積疏水(あさかそすい)が完成しました。昔の人たちの努力が、ゆたかな米どころをつくったのです。

農地開拓(かいたく)と用水路開発~福島県郡山市(こおりやまし)~
およそ150年前、福島県郡山市の農地開拓(かいたく)が行われました。安積疏水(あさかそすい)が作られ、郡山市は、ゆたかな米どころになったのです。