ねらい

どうして萩焼づくりがさかんになったのか?映像(えいぞう)をヒントにその歴史(れきし)を考えてみよう!

内容

萩市には萩焼(はぎやき)をつくる「窯元(かまもと)」がたくさんある。どうして萩で焼きものづくりがさかんなのか?その歴史(れきし)のはじまりは、400年前。当時お茶の世界で流行していた朝鮮(ちょうせん)の茶わんを手本に、山口の人たちが生み出したのが萩焼だった。その後、お茶の文化が多くの人に広がる中で、萩焼のそぼくな味わいが人気となり、窯元は萩市を中心にふえていった。しかし、150年ほど前から佐賀県の有田焼や外国の洋食器などはなやかな食器が流行し、萩焼は次第におとろえていってしまった。それでも、萩の陶芸家たちは工夫をこらして新しい多くの萩焼の作品を発表し、萩焼は芸術品としても認められ再び有名なっていった。そして今では、機械の手を借りてスピーディに生産する工場もできたり、日本刀を使う陶芸家(とうげいか)があらわれたり、さらに、わかい陶芸家の人たちが活やくしたり、いろいろな萩焼が生まれている。

やまぐちクエスト #03 ⑤萩焼の歴史とそれを受けつぐ人たち
どうして萩焼づくりがさかんになったのか?映像をヒントにその歴史を考えてみよう!