ねらい

利根川の洪水が東京にまで及ぶ原因を、江戸時代の治水工事と関連づけて考え、自然環境との調和の大切さを知る。

内容

1947年、関東地方を台風が襲いました。カスリーン台風です。利根川は増水し、埼玉県栗橋町付近で堤防が壊れ、流れ出た水は、南下を続け、東京の足立区・葛飾区・江戸川区まで達しました。利根川は、現在の流れとは違い、東京湾に流れ込んでいました。この頃関東平野には湿地が広がり、川は洪水の度に流れを変えていました。1590年、徳川家康は、秀吉から関東地方を治めるよう命じられます。家康は川の流れを安定させる事業を始めました。利根川は現在の千葉県銚子へと向かう流れに変わります。江戸時代初期まで続く事業を利根川の『東遷』と言います。1594年、川俣で会の川を締めきり水が流れ込まないようにしました。利根川の東遷のはじまりと言われています。新川通と言う水路を造り、渡良瀬川とつなぎます。赤堀川を造り、銚子へ流れる本流を完成させました。東遷が行われていなければ、江戸の水害はもっと頻繁に起こっていたことでしょう。

利根川の洪水が東京を襲った理由-中学
1947年、利根川の洪水が東京にまで達しました。徳川家康は、元もと東京湾に流れ込んでいた利根川を、現在の千葉県銚子へと向かう流れに変えました。