ねらい

戦後の米不足から米の過剰生産による生産調整までの過程を図表からも知ることができる。日本人の食生活の変化に対応した転作作物の生産を通して日本人の食生活の変化に気づく。

内容

第二次世界大戦が終わった1945年、日本は深刻な食糧難に陥りました。食糧増産が求められ、米の生産量を増やすことが大きな課題でした。増産の努力により、約20年間で収穫量は3倍近くまで増えました。しかし今度は米が余るようになりました。食生活が変化したためです。1970年には720万トンもの米が余りました。その翌年から、生産調整いわゆる減反が始まりました。稲の作付面積を制限し、収穫量を抑えることにしたのです。育てた稲を実る前に刈りとる青刈りも行われました。稲を育てない休耕田も増えました。稲の作付面積は、最も多かった1960年の330万ヘクタールから、2000年にはほぼ半分の177万ヘクタールに減りました。田んぼを畑に変え、大豆や麦などが作られるようになり、花や野菜の栽培も増えています。稲の代わりに作る作物を、転作作物と言います。今、生産調整されている田んぼの、約60%で転作作物が作られています。

米の生産調整
戦後の食糧難をきっかけに推進された米の増産ですが、1970年代以降、逆に収穫量を抑える「生産調整」が始まりました。その推移を紹介しています。