ねらい

高床式倉庫を持つ吉野ヶ里遺跡の特徴を知ることができる。稲作の始まりがそれまでの人々の生活をどのように変えていったか考えることができる。

内容

佐賀県で吉野ケ里遺跡が発見されたことにより、弥生時代の前期には大きな集落があったことが明らかになりました。遺跡の広さはおよそ25ヘクタール、日本最大級の規模です。土の中からは稲作に使われたと思われる農具や青銅剣なども発掘されており、力をもった豪族がいたことを物語っています。米も見つかりました。土の中に長い間あったため、炭のようになっています。当時ここでは人々が集団でくらし、米を育てていたのではないかと考えられています。毎年秋に収穫されたお米は、高床式倉庫に貯蔵されていたのでしょう。こうした倉庫に食物を貯蔵するということは、その時代の人たちが住む場所を変えていなかったことを表しています。弥生時代にはすでに今とあまり変わらない農法で水田稲作が行われていたと考えられています。稲作を中心として多くの人がまとまって住む社会、その生活の様子は、今のわたしたちの暮らしのもとになっているのかもしれません。

弥生時代の稲作と定住化
佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、日本最大級の規模を持つ弥生時代の集落跡です。稲作を中心として、多くの人がまとまって住むようになった様子を紹介します。