ねらい

冷戦下、米ソ等の大国はどのようにして勢力圏を広げようとしていたか。その典型例がカンボジア近代史に見える。

内容

カンボジアは、日本の約半分の面積で、人口1200万の農業国。1953年、フランスから独立し、シアヌーク国王の下で平和でしたが、70年、アメリカを後ろ盾にしたロン・ノル将軍のクーデターが勃発。隣国のベトナム戦争に巻き込まれました。次に、中国の支援を受けたポル・ポト派が政権を奪い、共産主義政策に反する人は処刑され、虐殺などの死者は2、3百万人とも。79年ベトナム軍の侵攻で、ポル・ポト派がタイ国境地帯へと逃走したため、国境は反ベトナム勢力の拠点と化し激戦が繰り返され、周辺にはタイへ逃げようとする難民が殺到。91年、カンボジア和平協定が成立。92年、国連カンボジア暫定統治機構・UNTACによる和平維持活動が開始、93年には、新憲法を発布して立憲君主国の道を歩みました。シアヌークが再び国王となり、平和が戻ったものの、内戦時に埋められた数百万の地雷の撤去が終わらない限り、本当の平和とはいえません。

カンボジア
大国に振り回されたカンボジアは長い内戦と混乱を経験しました。冷戦終結後、平和な国家づくりに励んでいます。