ねらい

冷戦下の核開発競争、核抑止力理論などを考える。

内容

1954年、北太平洋のビキニ環礁で日本の漁船が、アメリカの水爆実験による「死の灰」をかぶる事件がありました。ここはアメリカの核兵器研究所です。東西冷戦が激化し、アメリカと旧ソ連は、核開発に励みました。水爆、小型原爆、中性子爆弾などの開発が進み、運搬手段も発達。核兵器は、恐ろしい兵器ですが、より強力な核兵器を持てば核の力で戦争を抑止できるとして、核開発を競いました。イギリスやフランス、中国も、核実験を繰り返す中、核保有量のバランスを崩さずに制限、削減する動きがでて、87年にアメリカと旧ソ連の間で中距離核戦力全廃条約が調印、91年には戦略核兵器削減合意が成立。96年には国連総会で全ての核実験の禁止を含んだ包括的核実験禁止条約が採択されましたが、これは核保有国の核の独占としてインドやパキスタンなどが署名を拒否。また、アメリカ、中国は批准を保留。日本は、被爆国として核廃絶のための努力が必要です。

核兵器
瞬時に多数を殺りくする核兵器。その削減の取組はなかなか真の合意に至りません。被爆国日本の役割は重要です
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