ねらい

サンフランシスコ講和条約が西側との講和であったことや戦後の領土問題の出発点になることなどを理解する。

内容

1951年9月4日、サンフランシスコのオペラハウスで、日本と連合国側との戦争状態を終結させるための講和会議が開かれました。サンフランシスコ講和会議です。会議には旧ソ連やポーランド、チェコスロバキアなど、共産圏の国々を含む52か国が参加。日本からは吉田茂首相が出席しました。会議では、戦後の領土問題や日本への賠償請求などについて話し合われ、朝鮮の独立、台湾や千島列島、南樺太などの権利の放棄、沖縄、小笠原諸島をアメリカの信託統治のもとにおくことなどが決まりました。そして、最終日の9月8日、講和条約の調印式が行われ、49カ国が調印しました。これによってようやく日本の主権が回復したのです。しかし、出席した52カ国のうち、旧ソ連やポーランド、チェコスロバキアの共産圏3国は条約の内容に反対して署名を拒否、中国は会議に招待されなかったため、こうした国々との平和条約の締結はそれ以降に残されてしまいました。

サンフランシスコ講和会議
1951年、日本と連合国の間でサンフランシスコ講和条約が締結されました。日本の主権の回復が決まりました。