ねらい

弥生時代の遺跡の様子から、生活文化を知る。農耕の始まりによって、社会の構造に変化がもたらされた事がわかる。

内容

静岡県の「登呂遺跡」は、弥生時代後期、約1800年前の、農業が盛んだった集落です。12軒の家と2棟の倉庫があり、60人ほどが暮らしていたと考えられています。近くには、手入れの行き届いた水田が広がり、畦(あぜ)によって区切られ、水路が引かれています。紀元前4世紀頃、大陸から伝わったとされる水稲耕作の技術が、根付いている事がわかります。農具は、木製で、田を耕すための鍬は、固いカシの木で作られていました。収穫した穀物は、「高床倉庫」に貯えました。ネズミなどの被害を防ぐ工夫がされています。住まいは、縄文時代と同じ「竪穴住居」です。ここは湿地帯だったために、周りに土を盛って、水が入らないようにしていました。米を作るようになった弥生時代は、生活も豊かになりました。糸紡ぎや機織は、女性の大事な仕事。男性は、鉄製の工具を使って、器を作っています。この時代、鉄器と青銅器の技術も、大陸から伝わりました。

登呂遺跡
弥生時代の遺跡、静岡県の登呂遺跡です。農耕が行われた様子がわかります。
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