ねらい

平安時代の地方の暮らしを知る。

内容

和歌山県北部を流れる「紀ノ川(きのかわ)」の中流域です。この場所は、中世には京都の神護寺が所有する荘園でした。そのことを示す絵図が、伝わっています。絵図の右から左に紀ノ川が流れ、その北側に水田が広がります。中央には「かせ田庄(かせだのしょう)」と、この荘園の名前が書かれています。水田の横に描かれた家は、ここで働く農民たちが住む集落を表わしたものでしょう。絵図に描かれている八幡宮とお堂の場所には、今も、神社とお寺が隣り合って建っていました。また、紀ノ川の中の大きな岩は、地元の人たちから船岡山と呼ばれている中州です。この絵図をよく見ると、黒い点がいくつか打ってあります。これは「ぼうじ」といって、荘園の境界を示す目印です。実際には、この場所に石や杭が置かれました。かせ田荘絵図には、5つの「ぼうじ」が見られます。このような絵図は、隣の荘園との境界をはっきりさせるために作られたと考えられています。

荘園図
中世の荘園の様子から、地方の支配の様子がわかります。