ねらい

鎌倉幕府によって整備された「鎌倉街道」や「切通し」の特徴や、それらが作られた理由を知る

内容

源頼朝が幕府を開いた鎌倉は、三方を山に囲まれ、海に面した難攻不落の地です。しかし、朝廷の力はまだまだ強く、いつ大きな戦争が起きてもおかしくない状態でした。そこで、幕府は、鎌倉を中心に放射状に伸びる軍事道路を作りました。「鎌倉街道」です。その街道の先々に、御家人たちの領地がありました。御家人たちは、ふだんは農業をして暮らし、「いざ」という時には、この街道を駆け抜けて鎌倉に急いだのです。現在でも道路の名前や地名として、「鎌倉街道」が残っている場所が、多く見られます。幕府はまた、鎌倉の三方を囲む山の一部を切り開いて、「切り通(どお)し」と呼ばれる細い道を作りました。幅は、人ひとりが通れるほどしかありません。敵に、簡単に攻められない工夫です。このような「切り通し」のうち、特に重要だったものが7つあり、「七切り通し」と呼ばれています。

鎌倉街道と切り通し
鎌倉幕府は、鎌倉を中心に放射状に伸びる軍事道路や、敵の侵入を防ぐための切通しと呼ばれる道を作りました。