ねらい

初期の仏教が、どのようにして民衆の間に広まっていったかを知る。また、大仏建立には、さまざまな階層の力が必要であったことを知る。

内容

奈良時代の僧「行基」は、668年、百済系渡来人の子孫の家に生まれました。15歳の時に出家して薬師寺に入り、仏教の教えを学びます。しかし、当時の仏教は、政治を行うための学問であり、一般民衆の信仰とはかけ離れた存在でした。行基は、「広く民衆を救う」という仏教本来の姿を取り戻さなければならないと考えるようになります。そして、37歳頃から、諸国を歩いて民衆に教えを説き始めたのです。また、灌漑施設を作ったり、川に橋を架けたりといった社会事業も行いました。行基は、民衆から絶大な支持を得て、「行基菩薩」と呼ばれるようになります。当初、国家は、禁じられた民間布教を行う行基を弾圧しましたが、国分寺建立と大仏造立を進めようとした聖武天皇は、行基の力を借りようと考えました。行基は、聖武天皇の願いに応えて、この大事業に力を尽くします。そして、745年、日本ではじめて僧の最高位である「大僧正」の位を贈られました。

行基
民衆の間に仏教を広めた行基は、大仏建立にも尽力しました。
関連キーワード:
ナラダイブツブッキョウ