ねらい

日本の中にも海を舞台に、外国を股にかけて活動した物たちがいた事を知る。その中には海賊行為に及び、海外で恐れられた者もいた。

内容

九州北部や瀬戸内海沿岸には、古くから中国や朝鮮半島との交易を行って暮らす人々がいました。鎌倉時代の終わりごろ、こうした人々の中から、時として海賊行為を行う者が現われました。彼らは、朝鮮半島や中国沿岸を荒らし、食料などを奪ったり、人をさらって奴隷として売ったりしました。朝鮮や中国の人々はこの海賊を「倭寇」と呼んで畏れました。14世紀の終わり、朝鮮では倭寇を討伐して名を上げた李成桂―イ・ソンゲが、高麗を倒して朝鮮王朝を建国します。また、中国では、1368年に建国した明が、日本に対して倭寇の取り締まりを求めてきました。室町幕府の3代将軍・足利義満は、明との正式な貿易を条件に、倭寇討伐を行います。そのため、15世紀には、倭寇の活動は衰えていきました。しかし、1467年に始まった「応仁の乱」で国内が乱れ、明との貿易も行われなくなると、倭寇の活動は、再び活発になっていったのです。

倭寇
中国から朝鮮沿岸で「倭寇」という海賊が活動していました。