ねらい

1637年に起きた島原・天草一揆について学ぶ

内容

1637年、九州の島原と天草で、大規模な一揆が発生しました。いずれも、元は「キリシタン大名」が治めていたところで、多くのキリスト教信者が住んでいました。しかし、新しく入ってきた藩主は、キリスト教を弾圧し、重い年貢をかけました。これに飢饉の被害が加わり、ついに⺠衆が立ち上がったのです。一揆の総大将は、キリスト教信者で宗教的カリスマ性を持っていた「天草四郎」という10代半ばの少年でした。四郎は、3万人を超える⺠衆を率いて天草の原城(はらじょう)に立て籠もり、幕府や藩の軍勢と戦いましたが三ヶ月の籠城の末、幕府軍の総攻撃によって原城は陥落しました。この時、⺠衆側が掲げた旗が、今も残っています。 旗には、鉄砲の弾で空いたと思 われる穴や血の跡が残り、戦いの激しさを物語っています。 その後事態を重く見た幕府は、キリスト 教の弾圧をさらに厳しくしていきました。

島原・天草一揆
1637年、九州の島原と天草で大規模な一揆が発生しました。総大将はキリスト教信者で宗教的カリスマ性を持っていた「天草四郎」という10代半ばの少年でした。