ねらい

天下を統一した豊臣秀吉が、土地を直接把握し、税制を確立した事を知る。

内容

水田や畑などを調査して、生産高と年貢を納める責任者を決めることを「検地」と言います。戦国時代、大名たちは自分の領地を把握するために検地を行いました。しかし、そのほとんどは申告制だったため、正確ではありませんでした。豊臣秀吉は、「検地奉行」を任命し、直接現地に向かわせて調査させました。このやり方を「太閤検地」といいます。これによって、田畑を正確に調査し、漏れなく年貢を取り立てることができるようになったのです。測量が終わると、検地帳が作られます。そこには、耕地の面積、収穫高、そして、そこを耕作して年貢を納める農民の名前が記されました。太閤検地は、1582年から1598年まで行われ、全国の土地の生産力が米の量で表されることになりました。これを「石高制(こくだかせい)」といいます。

太閤検地
豊臣秀吉が、全国の水田や畑を調べ、支配を確立しました。