ねらい

国家の近代化のために、国民の教育を重視した事を知る。

内容

1872年に公布された教育制度・学制は、教育を充実する事によって国民の知識を高め、国家の近代化を進めることを目指したものです。その条文に、「邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」とあります。全国に5万あまりの小学校をつくり、6歳以上の全ての男女が小学校教育を受けることと定めたのです。翌1873年に学制が施行されると、各地で小学校の創立が進められました。現在、長野県松本市に校舎が残されている開智学校は、この時に開校した日本でもっとも古い小学校の一つです。校舎は1876年に建てられたもので、国の重要文化財になっています。学制では、学校の建設や授業料が住民の負担とされた事などから、なかなか就学率は上がりませんでした。男子が約6割、女子はやっと2割を超えるほどだったのです。制度の内容があまりにも理想主義的であるという批判もあり、1879年に学制は廃止され、教育令が公布されました。

学制公布
国民すべてが教育をうける制度が作られました。
関連キーワード:
メイジキョウイクガッコウ