ねらい

不平等条約とはどのようなものだったのかを知り、当時の人たちの考えについて知る。

内容

1886年10月、横浜から神戸に向かっていたイギリスの貨物船「ノルマントン号」が、和歌山県の沖合で沈没しました。この船には、イギリス人、ドイツ人、中国人、インド人、そして日本人が乗っていました。ところが、イギリス人とドイツ人の乗組員はほとんどが救助されて無事だったのに、日本人は全員死亡したのです。この事件が知らされると、国内の世論は沸騰しました。イギリス人船長が、適切な避難誘導をしなかったために、多くの日本人が犠牲になったと考えられたからです。しかし、裁判の結果、船長に禁錮3か月の刑が下された他は、乗組員全員が無罪となったのです。この判決は、幕末に結んだ条約で「領事裁判権」を認めたから―つまり事件を起こした外国人を、日本の法律で裁くことができないからだという声が高まりました。そして、それは、一刻も早い条約改正を望む声へと変わっていったのです。

ノルマントン号事件-中学
イギリス貨物船の事故をきっかけに、不平等条約を非難する世論が高まりました。